2025年12月26日金曜日

読書・「プルースト・母との書簡」フィリップ・コルブ編 権寧訳 紀伊國屋書店 (母の呼び方について・・)

 

 毎年この季節に見かけるノササゲの実です。

   濃紺の色がシックですが、

         ほかの実は、もう干しブドウのようになってしまいました・・。



 この本には、マルセル・プルーストが、16歳の頃から、母との永遠の別れの時の34歳まで、二人の間で交わした手紙149通が載っています。

 最初の手紙の冒頭には「ぼくのすてきなお母さま」二通目は、「ぼくの大好きなお母さまへ」

 そして、母からプルーストへは、「可哀そうな狼さん」「坊や」「わたしのかわいい坊や」などから、「わが子へ」と次第にかわっています。

 これらのお互いへの呼びかけの言葉からも、ふたりのあいだでの愛情の深さは感じられるのですが、深いからこそプルーストが、精神的、経済的にも自立できていなかったことや、ぜんそくなどの虚弱体質のことなどに関する母の心配は、とても大きかったのではと思います。

 そして、プルーストは、母の亡きあとにこのことに気づき、自分がどれだけ母に心配をかけていたかを、痛切に反省し涙したのではと想像しました。事実、プルーストはしばらくの間は立ち直れなかったほどだったということでした。

 母は愛情深く、教養もある女性で、プルーストにとっては、まさに何でも話せる「ぼくのすてきで、大好きなお母さま」だったことは、この書簡集から読み取れました。

 


 ところで、プルーストの「失われた時を求めて」の4人の翻訳者の方々はそれぞれ、本の中での母親や祖母の呼び方を、

井上究一郎さんは、「ママ」 「お祖母さま」

鈴木道彦さんは、「ママン」 「お祖母(ばあ)ちゃま」

吉川一義さんは「お母さん」 「おばあちゃま」

高遠弘美さんは「お母さん」 「お祖母さま」

と訳していらっしゃいますので、それぞれ引用してみます。

(主人公がまだ子供だったころ、大好きな母親が来客のためにお休みのキスをしに来れなくなったことで、がっかりして感情が高ぶっていたところ、父の特別な口添えもあり、母親が自分のベットに来てくれることになった場面です。)

引用

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井上究一郎さんの訳                                                                                                                                                                                                                                                                                 

「あら、私の小さなおたからさん、私のかわいいカナリヤさん、もうすこしでこのママもいっしょにおばかさんになるところね。さあさあ、あなたもねむくはないし、ママもねむくはないのだから、いらいらしていないで、何かしましょう、あなたのご本を一冊とりましょうね。」

      「失われた時を求めて」Ⅰ第一篇 スワン家のほうへ ちくま文庫 65p

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鈴木道彦さんの訳

「まあまあ、この可愛いおいたさんたら、もうちょっとで、ママンまで、お前と同(おんな)じおばかさんになるとこね。さあ、お前もママンも眠くないんだから、いらいらするのはやめて、なんかしましょうよ。なにかご本を読んだらどうお?」

    「失われた時を求めて」Ⅰ第一篇スワン家のほうへ 集英社文庫 97p

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吉川一義さんの訳

「あらあら、こんなことをしていると、かわいいお馬鹿さんになっちゃいそう。さあ、あなたは眠くないんだし、お母さんも眠くないんだから、いらいらしないで、なにかしましょう。ご本でも読みましょう。」

 「失われた時を求めて」1 スワン家のほうへⅠ 96p

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高遠弘美さんの訳

「わたしのかわいい金貨(ジョネ)さん、ちょっぴりおばかなカナリヤ(スラン)さん、こんなふうだとお母さんまであなたみたいにばかになっちゃうわ。ねえ、お母さんもそうだけど、あなたも眠くないんだったら、気を落ち着けなきゃだめね。何かしましょう。あなたの本を読む?」

「失われた時を求めて」①第一篇「スワン家のほうへⅠ」 103p

・-・-・

 翻訳者の方々はそれぞれのお考えで、熟考なさった結果だと思うのですが、わたしは鈴木道彦さんの「ママン」という翻訳が、好きです。

 プルーストの場合、父は高名な医師、母は裕福で教養のある女性ということで、恵まれていたブルジョア階級という家庭環境でしたので、世紀末という時代背景も入れて考慮しますと、わたしは手紙でも権寧さんが訳されているように、母親のことは尊敬と親しみを込めて「お母さま」と呼ぶのも自然かなと思ったのですが・・。

 失礼させていただき、井上究一郎さんの翻訳の「ママ」を、「お母さま」に置き換えてみますと、こんな感じになりました。

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「あら、私の小さなおたからさん、私のかわいいカナリヤさん、もうすこしでお母さまもいっしょにおばかさんになるところね。さあさあ、あなたもねむくはないし、お母さまもねむくはないのだから、いらいらしていないで、何かしましょう、あなたのご本を一冊とりましょうね。」

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 フランス語では、母は「mère」と「maman」のふたつですが、それにしても日本語での母の呼び方は、多様性にあふれていて驚きます。 

 この本「プルースト・母との書簡」の場合、権寧さんが訳された「お母さま」は、ぴったりで、手紙から感じられるプルーストの母への愛情と尊敬が、より深く感じられたのでした。

 






2025年12月14日日曜日

読書・「プルーストのはじめの一冊」

  


毎年、冬のこの季節になると、朝焼けや夕焼けがきれいで、いつも見惚れてしまいます。

      今朝の朝焼けに染まったばら色の雲・・。

             ふわふわの綿菓子のようでした。

                        



 プルーストの「失われた時を求めて」を、最初に手にとったのは、井上究一郎訳の「プルースト全集」の1冊目の単行本でした。 

 この本は、わたしの記念すべきプルーストのはじめの1冊ですが、わくわくしながら読んだのを覚えています。

 初版の第一冊発行が1984年9月10日で、その後、全18巻プラス別巻の全集が完成したのは、15年後の1999年の4月とのこと。

 翻訳なさった井上さんは、完成の少し前の1999年の1月に亡くなられていますので、彼のライフワークともいうべき「プルースト全集の個人全訳」だったと思います。

 井上さんのことを思うとき、わたしはなぜか、「失われた時を求めて」の中で作家のベルゴットの本が、彼の死後に本屋さんのショーウィンドウに飾られているというような場面があったのを思い出してしまったのですが、調べてみますと、こんな風に書いてありました。

井上究一郎さんの翻訳からの引用です。

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 彼は埋葬された。しかし弔の終夜、あかりのついた本屋のかざり窓に、三冊ずつならべられた彼の著書が、つばさをひろげた天使たちのように通夜をしていて、いまは亡い人にたいする復活の象徴のように見えるのであった。

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    引用「失われた時を求めて」井上究一郎訳 8「第五篇 囚われの女」324p


 

 読み直してみますと、彼のお人柄と人生がにじみでているような少し古めかしい井上さんの翻訳は、味があって、わたしは好きです。

 井上究一郎さんは、15年もの歳月をかけて、「プルースト全集の個人全訳」を最初になさったのですから、すごいことだと思います。そしてその翻訳が、わたしたち読者に「プルーストの読書のよろこび」を与えてくださっているのですから・・。

 この単行本は、とても豪華なのですが、わたしにとっては、大きくて読みにくく、高額だったということもあり、初めて全巻通して読み終えることができたのは、ちくま文庫の出版を待ってからでした。

 このちくま文庫の全巻読了には、2年かかったのですが、読み終えたときの感動はいまでも忘れられません。


     「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 井上究一郎訳 ちくま文庫

 わたしのプルーストの「失われた時を求めて」への長い読書の旅は、ここから始まったのですが、もう30年近くもたってしまいました。

 その後は、鈴木道彦訳全巻、吉川一義訳全巻、高遠弘美訳6冊までと、まだまだ、旅の途中ですが・・。

 どの翻訳本からも、ランダムにページをめくると、プルーストの本からは、いつものなつかしい人々が出てきておしゃべりをはじめ、わたしのそのときの感性や知性に応じて、読書の喜びや楽しみをもたらしてくれるのです。

 プルーストは、読書とは自分を読むことと言っているのですが、わたしもいつも読書によって自分を読んでいるのだと素直に思います・・。

 このような本を、個人全訳で最初に翻訳してくださった井上究一郎さんには、とても感謝し尊敬しています・・。


    左から、

「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 井上究一郎訳 ちくま文庫 全10巻

「失われた時を求めて」マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社文庫 全13冊

「失われた時を求めて」プルースト作 吉川一義訳 岩波文庫 全14冊

「失われた時を求めて」プルースト 高遠弘美訳 光文社古典新訳文庫 6冊まで・・




2025年12月6日土曜日

読書・「ドナルド・キーンの東京下町日記」ドナルド・キーン著 東京新聞  (私の好きなキーンさんの万葉集の歌の英訳)

 

 もみじの紅葉も、すっかり散ってしまいました。倒木の上になごりのもみじ葉が散り敷き、冬のやさしい日差しがさしていました・・。



  「ドナルド・キーンの東京下町日記」を、読みました。キーンさんの本は、以前から大分読んでいるのですが、特にこの本はエッセイとして、キーンさんの魅力を全部伝えているように感じました。

 キーンさんは、すばらしい秀才でしたが、日本文学に目覚めたのは、ニューヨークでアーサー・ウエリイさんの「源氏物語」の名訳を、ただ安かったからという理由で、購入なさったのがきっかけだったということですから、人生って不思議で面白いです。

 わたしが、キーンさんの著書の中で特に好きで忘れられないのは、「日本文学の歴史」1の古代・中世篇1の中の額田王(ぬかだのおおきみ)と大海皇子のお二人の歌の英訳です。

 キーンさんの和歌の英訳は、とても簡潔で明快・・。

 引用してみます。

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あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る

                                 額田王

On your way to the fields

Of crimson-tinted lavender,

The royal preserve,

Will not the guardian notice

If you wave your sleeve at me?


紫のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻ゆゑに我(あれ)恋ひめやも

                        大海人皇子

If I had cruel thoughts

About you,radiant  as

Lavender blossoms

Would I have fallen in love  

with you, another man`s wife?

 引用「日本文学の歴史」1 古代中世篇1 ドナルド・キーン著 土屋政雄訳 中央公論社

                                                               170p~171p

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  この万葉集の有名な2つの歌は、668年に天智天皇が催した狩りの場で、歌われたとのこと。(当時、額田王は、天智天皇の妻でした)

 額田王のかっての夫だった皇太子大海人皇子が、あまりにも袖を振るので、野守に気づかれてしまうではありませんかと詠んだ額田王の歌にたいして

 大海人皇子が答えた歌は、いまは兄の妻となっている額田王に、人目につくということなど気にせずに、ただご自分の好きだという気持ちだけを伝えているのです・・。

「Would I have fallen in love  with you, another man`s wife?」というように・・。

また、キーンさんは、

「あかねさす紫野」を、「crimson-tinted lavender」 深い紅色に染まったラベンダー・・

そして、

「紫のにおえる」を、 「radiant  as Lavender blossoms」 ラベンダーの花のようにひかり輝いて・・

と、野草の「ムラサキ」を「ラベンダー」と訳されているのは、詩としての雰囲気は十分に伝わっていて、すてきな仕上がりになっていると思いました。

※(調べてみましたら、ムラサキは、ムラサキ科ムラサキ属の野草で、白い小さな花が咲き、根は太く紫色で昔から、染料や薬用とされたとのこと。)

 万葉集のこの2つの歌を、キーンさんの英訳で読むことができたのは、わたしにとって、とても新鮮な経験でした。

 「ドナルド・キーンの東京下町日記」には、日本文学を世界に広めてくださった「日本文学の伝道者」だったキーンさんの人生やお人柄が感じられ、日本人になられた後の「晩年の今が一番幸せで、わたしの人生は幸運だった」と書かれていたお言葉に、こちらまでほのぼのとさせていただいたのでした・・。

 日本文学を世界に広めてくださったキーンさんの功績に感謝した読書でした。



 「日本文学の歴史」1 古代中世篇1 ドナルド・キーン著 土屋政雄訳 中央公論社 

                




 







2025年11月28日金曜日

読書・「異郷の季節」鈴木道彦著 みすず書房 

 


 散歩道のあちこちではまだ、こんなうすいむらさき色のすてきな実を見ることができます。ムラサキシキブというゆかしい名前がついているのですが、今年の秋は、もうしばらくは楽しめそうです・・。



 プルーストの「失われた時を求めて」を翻訳なさった鈴木道彦さんのエッセイ「異郷の季節」を、読みました。

 鈴木道彦さんは、昨年の2024年に亡くなられているのですが、須賀敦子さんと同じ1929年のお生まれで、戦後間もない同じころに、フランスに留学なさっているのを知り調べてみましたら、須賀さんは、1953年からパリのソレボンヌ大学に、鈴木道彦さんは1954年からと一年違いだったようです。

 このエッセイは、フランスに3回留学なさった鈴木道彦さんの回想記ですが、鈴木さんのお言葉によれば、「第一部はフランスでの生活や、アルジェリアでの見聞、第二部は、社会の余白に生きる人々、欄外から攻め上がろうとする人びとと接触した記録、そして第三部は鈴木さんの専攻するフランスの文学や思想にかんするもの」と、まとめていらっしゃいます。

 この本の中での事実や行動は、鈴木さんの知識人としての人生の生き方を決められたのではと想像できました・・。



 わたしは、サルトル追悼という鈴木さんのサルトル論を、いちばんおもしろく読みました。   サルトルは、鈴木道彦さんの生き方を変えたような偉大な知識人ですが、最後にサルトルへの感謝をのべてこのエッセイは終わっています。

 鈴木道彦さんは行動する知識人として社会に参加する生き方を選ばれたのですが、そういえば、須賀敦子さんもイタリアでは、コルシア書店というキリスト教左派の運営や、帰国なさってからもやはり一時エマウス活動にかかわるなど、お二人ともに社会活動に関する生き方をなさっていて、翻訳という共通点もあり、興味深く思ったのでした。

 鈴木道彦さんの異郷の季節とは、異国の人々とのかかわりあいの中で過ぎ去っていった人生の季節なのかもしれません・・。

    ご冥福をお祈りいたします・・・・・。







2025年11月22日土曜日

読書・「ユリイカ」 総特集=プルースト (ベンガル薔薇を見つめるプルースト)

 

 10月に散歩道で写した、ウリハダカエデの紅葉です。黄色からオレンジ色にかわる紅葉のグラデーションがすてきで、まるで絵本の表紙のようにすてきな構図になっていました・・。



 「ユリイカ」という1987年発行の古い雑誌を持っています。それには「プルーストの総特集」が載っており、大事にしている本です・・。

 どこを読んでもプルーストファンのわたしにとっては興味深く、わたしのお気に入りのプルースト関連本の1冊です。

 その中でも特に、吉田城さん編訳の、レーナルド・アーンの「散歩」という短いエッセイが、好きです。

 レーナルド・アーンは、一時プルーストと恋愛関係だったとのことですが、その後は、ずっと生涯の親友でした。そのアーンが、「散歩」というエッセイの中でプルーストについてこんなことを書いています。

 アーンがプルーストと知り合って間もないころ、二人で女ともだちの田舎の家で、数日いっしょに過ごしたことがあったそうです。

 二人で庭を散歩していたとき、プルーストは突然、咲いていた「ベンガル薔薇」の前で立ち止まり 、アーンに先に行ってくれるようにたのみ、しばらくじっと薔薇を見つめていたとのこと。

 その姿はアーンにとって忘れがたく、そのようなことは、それ以後も何度もあったのだとか・・。

 アーンは、このような時のプルーストのことを、

「自然と芸術と人生と、完全に交感した瞬間」で、

 それはまさに

「神がかりのような状態に入ること」

であったと、書いています。

アーンの短いエッセイですが、わたしの記憶に残るプルースト像です。

 



2025年11月14日金曜日

音楽・秋に聴くブラームス・・・

 


 11月に入り、散歩道も秋が深くなりました。雑木林の木々も一雨ごとに葉を落とし、落ち葉を踏みしめる音が、かさこそと秋を告げています・・・。


 

 先日の11月9日の日曜日の朝8時過ぎに、NHKラジオを聞いていましたら、あのなつかしいブラームスの曲が流れてきたので、少しびっくりし、うれしくなりました。

 その番組は、奥田佳道さんの「音楽の泉」で、ブラームスの「ピアノ協奏曲第二番」のさわりの部分、特に第一楽章のはじめのあのなつかしいようなホルンの音色と、ピアノが答える旋律に、「あっ、ブラームスだ」と直感したのでした・・。

 その切り取られた部分の音色がまた、たまらなくすてきで、ブラームスの人柄がにじみでているようで、あたたかい気持ちになれたのでした。

 そして、その音を聴いていると、突然、むかし、ドイツの黒い森をドライヴしたときに、このブラームスのピアノ協奏曲第二番が、カーステレオから流れていたのを思い出したのです。ドイツをドライヴするのだったら、ブラームスと思って持参していたCDだったことも・・。

 あれは、多分イースターの休暇の頃だったと思うのですが、通りすぎる車の窓からは、ドイツの田舎の風景の中に、黄色のらっぱ水仙があちこちに咲いているのや、リンゴの白い花が花盛りに咲いていたのが見え、そんな早春の景色の中、なぜか途中からちらほらと小雪まで舞い始めてきたことも、絵のように浮かんできたのでした・・。

 それにしても、奥田さんのチョイスはすばらしく、ブラームスの人柄がにじみ出ていると感じられる音を切り取って、聴かせてくださったのでした。

 ブラームスの友人で 詩人のヨーゼフ・ヴィクトール・ヴィートマンは「ブラームス回想」という本の中で、ブラームスは子供好きで、特に貧しい子供に共感を示したというエピソードを書いているとのことですが、彼のハンブルグで過ごした貧しかった幼少時代を思わせます。

 子供が好きだったというブラームス、彼はクララとも、その後に好きになった女性とも結婚することなく生涯独身で暮らし、子供がいたクララの家にはいつでも自由に滞在できる友人としてクララを一生愛することができたのは、彼にとってはしあわせなことだったのかもしれないなどと考えてしまうのは、やはり秋だからでしょうか・・。

 いま、アシュケナージのピアノで、ウィーンフィル、指揮者は、ベルナルド・ハイティングのブラームス・「ピアノ協奏曲第二番」のCDを聴きながらこのブログを書いているのですが、このCDは、あの日ドイツのブラックフォレストでドライヴしながら聴いた古いCDなのでした・・。

 秋にはやはり、ブラームスが似合っているように感じます・・・。



 

 


2025年11月10日月曜日

読書・「シルヴィ」ジェラール・ド・ネルヴァル 坂口哲啓訳注 大学書林語学文庫

 

 10月に写したキュートなクサギの果実です。パリの15街区の街路樹にも植えられているとのことですが、春には、すてきな香りの花が咲きます。クサギという名前は、葉や茎を折ったりすると、不快な匂いがするからとのこと。

 秋にこの果実が実ると、なぜかいつもパリを思い出してしまいます。



 
 前回の読書で井上究一郎さんが書かれた「ガリマールの家」に、ネルヴァルの「シルヴィ」
のことが書かれていたので、久しぶりに再読してみました。

 この本は、プルーストの「失われた時を求めて」に影響を与えたといわれている本ですが、今回は、「何か儚く美しい夢のような物語」だという感想を持ちました・・。

 ネルヴァルは、父が軍医で任地を転々としていたため、生後に母方の大叔父のところにひきとられ、幼児期はヴァロアで育ったことから、その土地が彼の作品に霊感を与える場所になったとのこと。

 翻訳をなさった坂口さんによれば、「シルヴィ」には、「ヴァロアの思い出」という副題がつけられているとのことですが、その副題のように、ヴァロア地方の風景が詩情豊かに描かれていると思いました。

 わたしは特に、ひなぎくやきんぽうげが一面に咲いている牧草地とか、ジギタリスをつんで大きな花束にするなど野の草花の様子や、シジューカラやアオゲラが木をつつく音などの野鳥の描写にも惹かれ、ヴァロアの自然の豊かさを感じたのですが、そういえば、プルーストの「失われた時を求めて」にも、野に咲くキンポウゲの花や、花ざかりのりんごの木に群がるシジューカラなどが目に浮かぶように書かれていたことを思い出します。
 
 物語を読んでいると、これは現在のことなのか、過去の思い出なのかわからなくなってしまうような不思議な感じがしてくるのですが、読んだ後に残る余韻は、あまりにも詩的で、わたしには「美しくはかない夢」の中のお話のようにも思われました。

 プルーストは、この「シルヴィ」について、「プルースト評論選」の「サント・ブーヴに反論する」の中で、こんなふうに書いていましたので、引用してみます。

・ー・-・-・-・-・-・
 「『シルヴィ』の青味がかった、あるいは深紅に染まった雰囲気だ。この言い表しえないものを感じ取れずにいると、私たちは自分の作品が、感じとれた人間の作品に比肩できるとまで思いあがってしまう。要するに言葉は同じなのだから、というわけである。だがそれは、言葉のなかにはないのだ、言い表されてはいないのだ、言葉と言葉のあいだに深く混じりこんでいるのだ、シャンティイのある朝の霧のように。」

         プルースト評論選 Ⅰ文学篇」穂刈瑞穂訳 ちくま文庫 の中の
              「サント・ブーヴに反論する」
          
                          引用69p
・-・-・-・-・-・

 わたしが、「夢のようなはかない物語」だと漠然と感じたことを、プルーストは、このように表現しているのですが、さすがと思いました。

「青味がかった、あるいは深紅に染まった雰囲気で、言葉では表すことができないようなまるで、シャンティイのある朝の霧のような物語である」と・・・。

 プルーストがこの物語「シルヴィ」から受けた霊感は、まさにこのようなことだったのだと納得したのでした。



 
 

2025年10月29日水曜日

読書・「ガリマールの家 ある物語風のクロニクル」井上究一郎著 ちくま文庫

 

 先日の散歩で見たイワガラミの紅葉です。アカマツにからみついているのですが、黄色やピンク、オレンジ、赤やむらさきなど様々に色付いた葉っぱが、それぞれにキュートで、毎年この季節にはいつも見るのを楽しみにしている自然からのすてきなプレゼントです・・。



 この本の著者の井上究一郎さんは、日本ではじめてプルーストの「失われた時を求めて」の個人全訳をなさった方ということで、とても尊敬している翻訳者のおひとりですが、このようにすてきな本を書き残していてくださったのだということを、改めて再認識させていただいた読書でした。

 物語は、井上さんが新聞のコラムで、ガリマール書店主のガストン・ガリマール氏の死亡記事を読まれたことから始まります。

 わたしにとってガリマールという言葉は、フランスの作家のサガンや、サルトル、ボーヴォワールなどの本の出版社という認識だったのですが、井上さんはフランスに留学中に、何とこのガリマールの家に一年間住んでいらしたことがあるとのことで少し驚いたのでした。

 井上さんがその家に移られたのは、ちょうどガリマール社がパトロンになっているアルベール・カミュのノーベル賞受賞が決まった直後の1957年で、井上さんは当時47歳、この本は、それから19年後の日本で、彼自身の体験を回想の物語風にして書かれているのです。

 「ガリマールの家」というタイトルの「家」は、フランス語では、「La Maison Gallimard」で、井上さんは「館」と翻訳なさっていますが、この館は、とても広くて大きく社屋と住まいがいっしょだったとのこと。井上さんは、ご縁があって、この大きな館のひとすみにひっそりとパリでの孤独を味わって住んでいらしたようです。

 彼は当時パリに留学中で、プルーストの研究をなさっており、プルーストが影響を受けたといわれる「ジェラール・ド・ネルヴァル」の母の郷里モルトフォンテーヌを訪ねられたときのことを、小説風に抒情的に書かれていて、詩的な世界に浸ることができました。

 このモルトフォンテーヌは、あのワットーの最高傑作といわれる「シテールへの船出」の現実の舞台にもなっていると言い伝えられており、ネルヴァルもそう信じていた場所で、彼の作品「シルヴイ」にも湖水を舟でわたる祭礼として設定されているのだとか・・。

 (早速、本箱から坂口哲啓さん訳の「シルヴィ」を開いてみるとそういう場面がたしかにあり、シテールの船出のことも書かれていました。)

 井上さんはプルースト研究のため、そこにある貴族の城館に公爵を訪ね、プルーストの署名やエピソードを聞くのですが、その後、あまりの上天気につられて森の中を歩いていたときに、突然の驟雨に出会い困っていると、走っていた車に乗せていただき、ホテルまで無事にもどることができたのでした。

 書いていても気づくのですが、井上さんが留学なさっていた当時は、プルーストはまだそんなには過去の人ではなく、プルーストのエピソードなども知っている方がいらっしゃり、階級社会でもある当時のフランスでそのような方と知り合いになることができた彼も、幸運だったように思いました。

 井上さんは、このようなフランスでのプルースト体験を研究者としてよりもさらに進んで小説家として、わたしたちに、書き残してくださったと感想を持ったのですが、本の解説でも蓮實重彦さんが、同じことを書かれていました。

 後半に井上さんの訳で、「モルトフォンテーヌ -ネルヴァル組曲」というフランシス・カルコの長い詩が載っていて、井上さんからの読者への贈り物のようにも思えました。

 

 

 

2025年9月25日木曜日

読書・「ニューヨーク散歩・街道をゆく39」司馬遼太郎著 朝日文庫

 

 9月も半ばを過ぎ、ようやく、秋らしい気候になってきました。散歩をしていると、虫の音が聞こえてきて、秋を告げています。散歩道には秋の定番の野草の「ノハラアザミ」があちこちに咲きみだれ、ハチや蝶が次々に蜜を吸いにやってくるのを見ていると、足を止めて見惚れてしまいます。




 先日、須賀敦子さんの「塩一トンの読書」という本を読んでいましたら、司馬遼太郎さんの街道をゆくシリーズの「ニューヨーク散歩」の書評が出ていました。司馬さんはドナルド・キーンさんのコロンビア大学での定年退職を記念する会での講演のためのニューヨーク訪問とのことでしたが、わたしは、キーンさんのファンでしたので、興味を持ちさっそくこの本を注文して、読んでみました。

 須賀さんは、「この本がユニークなのは、日本とかかわって「生きた」あるいは、「生きている」何人かのアメリカ人を司馬さんは、愛情込めて書かれている」と、ご指摘なさっているのですが、やはりその代表は、ドナルド・キーンさんなのかなと、思います。

 キーンさんは、2012年3月に日本国籍を取得し、日本人になられたほど、日本を愛していらしたのですが、キーンさんも司馬さんもいまではもう、お二人とも星になられています。須賀敦子さんもですが・・。



 キーンさんの本は、20冊以上持っているのですが、その中には司馬さんとの対談本「世界のなかの日本」もあります。本のなかで司馬さんは、キーンさんのことを「懐かしさ」と、表現なさっていたのですが、わたしも、講演会でお会いした時の印象では、やはりそのような感じがしたのを思い出します。

 コロンビア大学には、「ドナルド・キーン日本文化センター」があり、その設立には、バーバラ・ルーシュさんのご活躍があったというのは、知りませんでした。彼女はコロンビア大学の教授で、「奈良絵本」の研究もなさっているとのことですが、彼女のエピソードにとても惹かれました。



 それは、バーバラさんが少女時代に来日なさったときに、奈良の尼寺のパンフレットの尼僧の写真に魅せられ、財布にいれて長年大事に持っていらしたそうですが、後に「御伽草子」という本に出ていた「横笛」という名前の女性であることがわかり、感激なさったとのことでした。

  このエピソードにはわたしも感動してしまったのですが、司馬さんのこの本で、このようなお話を知ることができたのは、うれしいことでした。

 司馬さんの街道をゆくシリーズの「ニューヨーク散歩」は、須賀敦子さんの書評から、たどりついた本ですが、キーンさんの日本の文学を世界に広めてくださった功績のことなどを改めて思い感謝してしまった読書でした・・。





2025年9月13日土曜日

読書・「清川妙の萬葉集」清川妙著 集英社

 

 我が家の庭で見つけた小さな秋・・・。

 まだ青い「ヤマグリ」の「イガ」ですが、朝のひかりの中でシルバーグリーンに輝いていて、とてもすてきでした・・。





  秋のはじめのこの季節になると、わたしの好きな額田王のこの歌がいつも思いだされます。

 「君待つと我(わ)が恋ひ居(を)れば我(わ) がやどの簾(すだれ)動かし秋の風吹く」
                        (四八八 巻四)



 額田王が、夫である天智天皇がいらっしゃるのをお待ちしていると、すだれを動かして秋の風が吹いてきますというさりげない歌ですが、額田王の恋の心情が、季節感の中でさらりと歌われていて、光景が目に浮かぶようで、大好きな歌です。




 そして、この歌も同じぐらい好きな歌です。
 
「あかねさす紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖(そで)振る」
                          (二○ 巻一)
 
 この歌は、学生時代に国文のA先生が、朗誦してくださったお声がいまでも耳に残っているほどで、あの「あかねさす、むらさきのゆき、しめのゆき」というやさしい語感にも好感を持ったのを思い出します。

 標野での狩りのときに、昔の恋人の大海皇子(おおあまのみこ)が、額田王に手を振っているのですが、野守に見られてしまうことを心配しているようです。

 袖や手を振るのは、相手を愛していますというジェスチャーで、この野守というのは、大海皇子の兄の天智天皇なのではと、清川さんは、書かれているのが新説かなとおもしろく感じたのですが、わたしは、やはりそのまま野守のほうが自然かなと思うのですが・・。






 また、この歌には、大海皇子のこの歌が返されています。

「紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻故(ゆゑ)に我(わ)れ恋ひめやも」
                       (ニ一 巻一)

 紫草のように美しく匂うようなあなたが憎かったら、このように恋いこがれるでしょうかという意味の答歌ですが、わたしには、狩りの夜の宴会のような席で、大人の男女として座興のように昔の恋人に対して、歌った歌にも見えてしまいます。

 額田王が、大海王子と恋していたときには、娘まで生れていた仲だったのに、いまでは大海皇子の兄の天武天皇と結婚しており、そのようになってしまったいきさつについては、清川さんもわからないと書かれていますが、それにしても、いろいろと想像してしまうような興味深い二首だと思います。

 二人の天皇になった兄弟に愛された額田王の絵は、以前に滋賀県立美術館を訪ねたときに
見て、印象に残っています。安田靫彦さんの描かれた「飛鳥の春の額田王」ですが、その絵からも、やはり彼女は、「美貌と知性に輝いていた人だった」のではと、想像できました。

 わたしにとって万葉集といえば、学生時代に国文科で学んだこともある歌集ですが、斎藤茂吉さんの「万葉秀歌」、大岡信さんの「わたしの万葉集」、中西進さんの「万葉集」そして関連本などもあわせると、30冊近くも人生のおりおりに、それぞれに興味を持って、読んできた懐かしい本です。

 でも、最近では、この清川妙さんの書かれた「清川妙の万葉集」が読みやすく手に取ることが多くなりました。古本屋さんで求めた装丁の美しい単行本と、読みやすい文庫本の2冊を大事に本箱に置いてあります。

 



2025年9月5日金曜日

読書・「翻訳はおわらない」野崎歓著・ちくま文庫

 

 9月に入り、散歩道でツリガネニンジンが風に揺れて咲いているのを、見かけるようになりました。今年の夏は、昨年よりも酷暑とのことですが、ツリガネニンジンのようなかわいらしい花を見ると、すずやかな風鈴の音色がひびいてくるようで、ほっとします。




 野崎歓さんの書かれた「翻訳はおわらない」を読みました。この本は、友人からのプレゼントで、著者の野崎さんは、先月の8月にNHKのTV番組【「100分de名著」・「人間の大地」サン=テグジュペリ】にも出演なさっており、穏やかに話されるお姿に好感を持ったばかりでしたので、興味深く読むことができました。

 この本でわたしが特に興味深く感じたのは、「シルヴィ」という本を書いて、プルーストにも影響を与えたジェラール・ド・ネルヴァルが、翻訳家として紹介されていることでした。ネルヴァルは19歳でゲーテの「ファウスト」を翻訳し、その本は21世紀のいまでもフランスでは文庫版で広く読まれているとのこと。

 「シルヴイ」を本箱から探して開いてみると、はしがきにやはりネルヴァルは、ゲーテの「ファウスト」第一部を翻訳して、ゲーテの激賞するところとなり一躍有名になったと、書いてありました。野崎さんは、「シルヴイ」も入っているネルヴァルの作品集「火の娘たち」を翻訳なさっているとのことなので、出版されるのが楽しみになりました。何といってもジェラール・ド・ネルヴァルの書いた「シルヴイ」は、あのプルーストに影響を与えた作品なのですから・・。



 

  また、ゲーテの「ファウスト」は、森鴎外も翻訳しているという話から、鴎外の孫の山田ジャック(ジャックとは難しい漢字一文字です。)さんのお話になり、何と野崎さんは、仏文の学生時代にジャック先生の生徒だったとか。以前に読んだ森茉莉さんのエッセイにご子息のジャックさんのお話が出てきたことがあるので、お名前は知っていたのですが、彼は仏文の先生だったのですね・・。ジャック先生は、フローベールの「ボヴァリー夫人」や「感情教育」なども翻訳なさっており、翻訳家や仏文の先生としてのジャック先生のことを敬愛なさってなさっていたことが、伺えたのでした・・。



 本の中ほどに、野崎さんが通訳なさった小説家のナンシー・ヒューストンさんの講演でのこんな言葉が紹介されていました。

「翻訳は、裏切りではないというだけではありません。それは人類にとっての希望なのです」

                         引用28p

 野崎さんは、これ以上の翻訳論はないと書かれていますので、この言葉は彼の翻訳人生の指針になられたのではと、想像できました。

 わたしの場合、翻訳といえばいつもプルーストの「失われた時を求めて」を翻訳なさった井上究一郎先生、鈴木道彦先生、吉川一義先生、そして、高遠弘美先生など4人の先生方のことを考えてしまうのですが、わたしに「読書の喜び」を与えてくださった先生方の翻訳には、いつも感謝しております。

 野崎歓さんの今後の翻訳に期待しつつ、本を閉じました・・・。



2025年8月11日月曜日

読書・「モーツアルトへの旅」小塩節著・主婦の友社 


 今年の夏も猛暑の日々が続いていたのですが、きょうは雨でしのぎやすい気温です。下記の写真は、先月の7月24日の朝に咲いたクジャクサボテンの花です。早朝に窓を開けると、玄関先に真っ白の大型の花が咲いていてびっくりしたのですが、夕方にはしぼんでしまいました。今年も暑さの中、咲いてくれた花に感謝しました・・。



  もう大分古びてしまったのですが、好きな本があります。小塩節(おしおたかし)さんが書かれた「モーツァルトへの旅」という本です。昭和53年第一冊発行と書いてありますので、多分、古本屋さんで購入したのだと思います。

  小塩さんは人生は旅で、 その途上の幼い日にピアノを習ったことで、モーツアルトに出会ってしまい、モーツアルトはその後の小塩さんの人生を豊かに広げてくれることになったとのことでした。

 彼は、若い日にドイツに留学なさっており、そこで多くの友人を作られ、人生の半ばには、毎年のように学生時代の友人ご夫妻と、ザルツブルグのモーツアルトの音楽祭に、モーツアルトを聴きに行かれるようになったとか・・。

 小塩さんの人生の旅は、モーツアルトに出会ったことで、より豊かに深くなられたと思うのですが、この本からは、彼のやさしい人柄と知性がにじみ出ているように感じられます。

 モーツアルトもやさしい性格だったと幼い日のエピソードでも語られているのですが、やさしさとは、天性のものもあるのでしょうが、好もしい人間性に思われます。

 モーツアルトの生まれたザルツブルグには、わたしも訪ねたことがあります。生家は黄色の壁の家で、街並みは店先の壁にとりつけられている看板がそれぞれかわいらしく、このような家と街で、あのモーツアルトが生まれたのだと、わたしも感慨深く散歩したのを思い出します。

 最近のわたしのお気に入りのモーツアルトの曲は、「クラリネット協奏曲K622」ですが、ほとんど毎日、飽きもせずに聴いています。以前には、アシュケナージの弾くピアノ協奏曲ばかり聴いていたのでしたが・・。あのクラリネットの音があんなにも上品で典雅であるにもかかわらず、軽快で明るいところが好きになったのでした。わたしがモーツアルトを好きになったのは、多分ザルツブルグを訪ねたこともきっかけだったのかもしれません。

 ザルツブルグは、オーストリアのアルプスのふもとにある街で、不順な天気の時でもアルプスの空の上にはいつも晴朗な青い空が広がっており、このようなことを土地の人たちは、ハイターカイト(ℍeiterkeit)といい、それはまた、晴ればれとした人の心の明るさも意味していると、小塩さんは書かれています。

 モーツアルトの音楽も同じで、彼の孤独の魂の上には、いつも晴朗な調べがあり、そのような音楽をわたしたちに贈ってくれたのだとも・・。

 この本は小塩さんのモーツアルトへの「愛の讃歌」であると、表紙に書かれているのですが、小塩さんの人生には、モーツアルトの音楽への愛がいつもあり、彼の人生を豊かに彩ってくれていたのだとしみじみと、思ったのでした・・。




 

 

  

 


 


2025年7月20日日曜日

読書・「漱石の白百合、三島の松」塚谷裕一著 中公文庫


  今年も、ヤマユリの季節になりました。いつもの散歩道で、ヤマユリが今年の夏一番に咲いているのを見たのは、7月の8日でした。朝のまだ涼しい高原の冷気の中、咲いたばかりのヤマユリは、とても新鮮ですてきでした。

 下の写真のヤマユリは、先日の朝、開花したばかりの花です。



  先日、友人からのすすめで「漱石の白百合、三島の松」という本を読んだのですが、タイムリーにヤマユリの話が出ていました。著者の塚谷さんは文学がお好きな植物学者で、漱石の本に出てくる白百合とは何なのかと推理なさり、「ヤマユリ」であると同定なさっていました。

 また、ヤマユリは、厳密にいえば白百合ではなく「カラフル」であるとも言及なさっているのですが、そういわれてみればよく見るとカラフルな花なのでした。



  ヤマユリのディテールを改めてよく観察してみますと、花弁の地は白ですが、真ん中に黄色の帯が走っていて、赤い褐色の斑紋が一面にちりばめられています。雄しべは6本で、先端の葯は茶色、真ん中の雌しべは1本で、それらを支えている花糸は、うすみどり色と、やはり、「カラフル」なのでした。(花糸というすてきな言葉は、この本で知りました)

 塚谷さんによれば、ヤマユリの学名の種小名は「auratum」で、「黄金の」という意味があるとのこと。命名者 Lindreyにとっては、中央の帯の黄色が印象的だったのだろうということですが、このあたりの記述は、さすが植物学者と納得・・。

 そういえば、土壌の性質の加減でしょうか、下の写真のような花弁の帯がうすい紅色のヤマユリも、ところどころで、見かけます。



  塚谷さんは、日本の作家はなぜ、このようにカラフルなヤマユリから、白だけをとりだして、「白百合」と描写したのだろうかと、疑問を持たれているのですが、その答えは、「白百合」は、輸入概念であり、「ヤマユリ」に白百合としての脚光があてられたのではと結論なさっています。

 わたしもいままでは、何の疑問ももたず、ヤマユリは、白と決めていたのですが、よく観察してみると、花弁はとてもカラフルな花なのだと、再認識させられたのでした!

 また、ヤマユリは日本では、沖縄、北海道、四国、九州などには自生しないとのことで、このあたりの散歩道にたくさん自生しているのを見ることができるのも、とても幸運なことなのだと、改めて実感したのでした。

 濃厚な香りがただようヤマユリの咲く木陰の涼しい散歩道を歩くのは、この季節の楽しみです・・。




 


 

 


2025年7月6日日曜日

読書・「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」        穂刈瑞穂著 講談社文芸文庫

 

 ノイバラの花も、もう終わり・・。散歩道には、白い花びらがはらはらと散っているのを見かけるようになりました。ノイバラの花を見ると、いつもわたしは、あの大好きな蕪村の俳句

「愁(うれ)ひつゝ岡にのぼれば花いばら」

を、思い出します。蕪村のこのような心情には、やはり清楚なノイバラの花がよく似合うように思うからです・・。 



 穂刈瑞穂さんが書かれた「モンテーニュ よく生き、よく死ぬために」を、もう1か月近くもランダムにゆっくりと読んでいます。

 穂刈瑞穂さんの本は、「プルースト読書の喜び 私の好きな名場面」筑摩書房と、プルーストの評論の文学と芸術を穂刈さんが選んで本になさったもの2冊、(「プルースト評論選Ⅰ文学篇」ちくま文庫「プルースト評論選Ⅱ芸術篇」ちくま文庫)を、読んでいたので、今回で4冊目になります。

 特に「プルースト読書の喜び」は、「失われた時を求めて」の中から穂刈さんのお好きな名場面を語るというもので、お人柄がしのばれるような静謐な語り口で、とても好感を持って読んだのを思いだします。



 この本も、モンテーニュの「エセー」から穂刈さんのお好きな文をとりあげて、ご自分のご感想と共に語られているのですが、ゆっくりと味わいながら読まれたことがよくわかりました。

 「モンテーニュ」は、わたしにとって未知の人でしたが、「私は何を知っているか Que  sais-je(ク・セ・ジュ) 」を、自分の座右の銘にしていたこと、

 そして、それをソクラテスから学んだことを知り、彼の人生哲学の深さは、幼いころから古典の素養を学ぶなど英才教育を受けたことだけではなく、人間としての魅力にもあふれていた人だったからなのではと、想像をめぐらせてしまったのでした。

 「自分の無知を知ることが知恵の真の起源である」という彼の哲学は、すんなりとわたしのこころにも入りました・・。

  


 ところで、著者の穂刈さんは若いころに、2度もフランス政府の招待でパリに遊学なさっており、フランス政府にはとても感謝なさっているとのこと。そして当時のパリでの生活はとても楽しく、パリやフランスをこよなく愛するようになり、そのことがその後の彼の人生を、フランス文学者として、フランス文学を日本に伝える道に進まれるようになったきっかけにもなったとのことです・・。 

 そういえば、穂刈さんの著書「プルースト 読書の喜び」のあとがきに、彼は2008年に長かった大学の勤めが終わったあと、思い切って日本を離れて大好きなパリに移り住まれたと書かれていたのを思い出したのですが、その後2021年7月10日に「念願のパリ」で83歳で亡くなられていたのを最近知りました。

 穂刈さんの命日の7月10日は、プルーストの誕生日ですので、プルースト研究者でもあった彼のプルーストとの不思議なご縁も感じ、「モンテーニュ」の本のサブタイトル、「よく生き、よく死ぬために」という言葉は、穂刈さんご自身の人生哲学でもあったのでは・・と思いをはせた読書でした。



   



 



2025年6月25日水曜日

野生動物・アナグマさん、こんにちは!  「同じ穴の貉(むじな)」

 

 6月9日の午後3時頃、散歩の途中に何か側溝の中で、ごそごそと音がすると思いのぞいてみると、何とアナグマさんでした! 


 

 側溝の落ち葉の下には、虫やミミズがいるので、エサを探していたようでした。

 


 側溝の中から、顔を出して「こんにちは!」



 姿をあらわしたのですが、わたしを見ても、ぜんぜん警戒する様子がありません・・。




 正面から見ると、アナグマという名前のように、やはりクマに似ていました。
 こちらに向かって歩いてくるのかなと思っていたら・・



          反対方向に去っていってしまいました・・・。


  アナグマが人間に全く警戒心がないのは、天敵はオオカミとのことなので、怖い思いをしたことがないからなのかもしれません。

 アナグマは、雑食性で昆虫やミミズ、落ちた果物や野菜、穀物などを食べるとのことですが、このあたりでは、いまの季節には、野生のウグイスカグラのぐみのような赤い実や、モミジイチゴ、桑の実などの果実が実るので、アナグマさんも好物なのかなと思ったのですが・・。


                モミジイチゴの実


              ウグイスカグラの実


 アナグマは、「同じ穴の貉」ということわざの「ムジナ」のことで、以前にもこのブログ(2025年1月5日)で書いたことがあるのですが、こんなに近くで写真を何枚も写せたのは、ラッキーでした!







  

  


2025年6月11日水曜日

読書・「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」バーソロミュー・ギル 岡真知子訳 角川文庫

 

 

 6月に入りました。散歩していますと、5月の中頃に咲き始めたキンポーゲが、まだあちこちで咲いているのを見かけます。そよ風が吹くと長い茎の先のレモンイエローの花が揺れて金色に光り、バターカップという英語の名前が思い出されるのですが、雨に濡れた風情もすてきです。  



  「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」を、読みました。この本は、最近わたしがジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を読んだのを知った推理小説好きの友人からプレゼントしていただいたものです。推理小説を読むのは久しぶりでしたが、「ユリシーズ」を読んだばかりでしたので、おもしろく読むことができました。

 作者のバーソロミュー・ギルさんは、アイルランド系のアメリカ人で、ダブリンのトリニティ・カレッジで文学修士号を取得したとのこと。「ユリシーズ」はもちろん、ダブリンの街に住む人々や、アイルランドの国民性や文化の背景などにも通じており、ジョイス好きの読者にも興味深い文学ミステリーになっていると思いました。



  殺人事件の被害者は、ダブリンのトリニティ・カレッジの教授ケヴィン・コイル。世界的に有名なジェイムズ・ジョイスの研究家という設定で、ジョイスが使用していたというカンカン帽をオークションで買ったり、ジョイスと同様にトネリコのステッキなども持っているのですが、ブルームズディの6月16日(ユリシーズの主人公レオポルド・ブルームを記念する日)の翌朝に死体で発見されるのです。そして、その事件を解決するのが、容姿がジェイムズ・ジョイスとよく似ているピーター・マッガー警視正と部下なのでした。

 翻訳者の岡真知子さんによれば、「ユリシーズ」の舞台にもなっているマーテロ塔の「ジョイス博物館」には、この本「ジェイムズ・ジョイス殺人事件」も展示されているとのことですが、たしかにこの本を読めば、ダブリンに住む人々のことや、アイルランド気質などもわかり、よりおもしろくユリシーズの世界の余韻を楽しむことができると思いました。



 この本の最後は、「ユリシーズ」の本文の最後の部分(あのイエスがたくさん出てくる区切りのない長い文)からの引用の「イエス」で終わっているのですが、ジョイスの言葉遊びの世界の延長のようで、なぜかとても「粋」に感じました。

 作者の筆名のギルは、もしかしてアイルランドの詩人イェイツの詩「湖の島イニスフリー」にも出てくる「ギル」湖からとったのかな?と推理したのですが、どうなのでしょう・・。