2025年4月20日日曜日

2025年・白河関の森公園の桜・みちのくの桃源郷


 2025年4月19日の「白河関の森公園」の桜です。ちょうど桜が満開で、濃いピンクの花桃の濃淡もアクセントになり、桃源郷のようなすてきな風景が広がっていました。



  

 ソメイヨシノの桜並木には、黄色のレンギョウが背景に植えられていて、桜をひきたてていたのですが、のんびりとしたおだやかな山里の雰囲気がただよっていて、こころを休めてくれるような春の景色でした。



 広場では、鯉のぼりが泳ぎ、子供たちがせせらぎで遊ぶ姿が微笑ましく桜と鯉のぼりには、やはり子供たちの声がいちばん、似あっているように思ったのでした。



 この公園は、白河の関に隣接しているのですが、白河の関には、芭蕉も曾良と奥の細道の旅の途中に立ち寄っていました。公園の中には二人の像と、こんな曾良の歌碑が建てられています。

 ♪卯の花をかざしに関の晴れ着かな    曾良

 芭蕉と曾良が、歌枕であったこの白河の関を訪ねたのは、1689年5月下旬で今の暦では、6月の上旬とのこと。真っ白の卯の花が咲いていたのだろうと思いますが、もし桜のこの季節でしたら、

「山桜をかざしに関の晴れ着かな」とでも、なっていたのかもしれませんね・・。

 


 それにしても、ちょうど見ごろで、桃源郷のようなすばらしい桜でした・・・。


2025年4月9日水曜日

読書・「ユリシーズⅣ」ジェイムズ・ジョイス著    丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳           集英社文庫ヘリテージシリーズ

 

 

  4月に入ってから、先日は雪も降り、今年の春は寒のもどりが多かったのですが、フキノトウもだいぶ茎が伸びてきました。



 ユリシーズもついに、最後のⅣになりました。長い読書でしたが、読みにくさと面白さが同居する、不思議な読書体験をした本でした。

 Ⅳの解説は、「巨大な砂時計のくびれの箇所」というタイトルで、丸谷才一さんが白眉のジョイス論を書かれているのですが、読み応えがあり、ジョイスの文学がより深く理解できるように思いました。

 丸谷さんは、ジョイスの文学で重要なのは、「言語遊戯」であり、その例として、「洒落」や「合成語」「造語」「パロディ」や「パスティーシュ」「冗談」「詭弁」「変痴気論」「糞尿譚」「ポルノ」「歌詞の引用」「辞書と競争」「羅列」「目録」「雑学」「ペダントリ」「謎々」「パズル」などをあげられているのですが、これらの単語を羅列してみただけでもジョイスの特異な文学の世界が感じられます。



 わたしは、ジョイスは、かなりの知性と遊びごころで、これらのことを、いままでにない新しい文学の試みとして、思いつく限りの方法で、文字を書き連ねてユリシーズを書いたのだと理解したのですが、丸谷さんはさらにこのように書かれています・・。

・-・-・-・-・

「人類の小説史全体の比喩としての巨大な砂時計の、くびれの箇所に当たるものを、ジョイスは書いた。」 

・-・-・-・-・         引用556p

 ということは、砂時計の上の部分は、いままでの小説、そしてくびれは、ジョイス、その下の部分にあたるのは、ポストジョイスの小説ということで、丸谷さんの比喩は、さすがと納得でした。

 



 プルーストの「失われた時を求めて」を読んだときにも感じたのですが、今回のジョイスの「ユリシーズ」の読後感も、すごい小説を読んでしまった!!!という同じ感想でしたが、わたしにとって、どちらの小説が好きかといえば、やはりプルーストかもしれません。

 ジョイスの本は、プロの読書人のもので、わたしのような本好きの一読者に、新しい読書の喜びの世界を広げてくれたのはプルーストでしたから・・・。






2025年3月28日金曜日

読書・「ユリシーズ」Ⅲ ジェイムズ・ジョイス著    丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 集英社文庫ヘリテージシリーズ

 


  雪がとけた散歩道で、枯れ葉の間から顔を出しているフキノトウです。雑木林の下一面に広がる枯れ葉のじゅうたんのところどころに、さみどり色に顔を出しているフキノトウを見ると、ようやく春が来たのだと実感します・・。



 いよいよ、ユリシーズもⅢに入ったのですが、最初のページから翻訳した方々のご苦労がよくわかるような文体になっていて、驚きました。

 英語の原文では、古代英語から始まり、マロリー「アーサー王の死」、デフォー、マコーリー、ペイターなどのパスティーシュ(作風の模倣)を経て、現代の英語の話し言葉になっており、

 古代英語の部分の翻訳は、日本語の、祝詞と「古事記」、マロリーは、「源氏」ほかの王朝物語、エリザベス朝の散文は、「平家物語」、デフォーは井原西鶴、マコーリーは夏目漱石、ディケンズは菊池寛、ペイターは谷崎潤一郎のそれぞれのパスティーシュになっているのだとか・・。



 さらに、原文の英語散文文体史のパロディやパスティーシュは、日本語文体史のパロディとパスティーシュになっているとのことです。

 そのようなわけで、Ⅲは、祝詞と古事記に翻訳した日本語で始まり、その後に続く文体も、翻訳者の方々のご苦労がよくわかったのですが、わたしなどは、ユリシーズ自体、かなりのパロディと思って楽しんで読みました。



 解説で翻訳者のおひとりの高松雄一さんが、「ジョイス、そしてイェイツとエリオット」という題で、文学論を書かれています。

 ジョイスとイェイツと、エリオットの小説や詩の文学の方法は、それぞれに違っているが、お互いに楔形になっていて、モダニズムの中核になっているとか・・。

 わたしは、イェイツの詩「湖の島イニスフリー」が好きなのですが、この詩からは、ジョイスと同じように、アイルランドへの祖国愛という共通点を感じました。

  


 

2025年3月17日月曜日

読書・「ユリシーズ」Ⅱ ジェイムズ・ジョイス著    丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 集英社文庫ヘリテージシリーズ



 3月ももう半ばというのに先日は、雪が降りました。散歩道のフキノトウは、みぞれのような雪の中で、「ここにいるよ」と、健気に自己主張していました。




 ユリシーズのⅡを読み終えました。前半に登場人物のひとりのスティーブン(ジョイスの分身ともいわれている)が、図書館で文学者たちに、独自の「ハムレット論」を話すシーンがあるのですが、この部分はおもしろく読みました。

 そのスティーブンのハムレット論は、こんな感じです。

 シェイクスピアは、「ハムレット」の中で、ハムレットの殺された父の亡霊に自分を投影している。

 そして、王子のハムレットは、幼いころに亡くなったシェイクスピアの息子のハムネットに投影し、

 王妃ガートルートは、シェイクスピアの妻のアンに投影している・・と。 

 わたしは、少し前に「シェイクスピアの庭」という映画を観たばかりでしたので、シェイクスピアは、幼い時に亡くなった息子の名前を永遠に残すために、「ハムレット」を書いたのではという考えには、わたしも同感でした。



 後半の部分は、ジョイスらしく、物語ごとに文体を変え、しかも登場人物の意識の中に入って書くというような、さまざまな試みをしていて新鮮です。

 それにしてもこの物語に出てくる言葉の豊饒さには、驚くのですが、ジョイスは多分、次々にあふれてくる言葉を楽しみながら書いたのかなと思いました。

 発売当時は、この本は、アイルランドはもちろん英国や、アメリカでも発禁だったということですが、何となく頷けました。



 この本の最初の見開きにある、1920年のパリのシェイクスピア書店前で写したジョイスと、経営者のシルヴィア・ビーチの写真は、とても興味深く見ました。

 ジョイスは、彼の人柄を思わせるように、少しきどって、スーツに蝶ネクタイの姿で、丸いメガネをかけて帽子をかぶり、手にはステッキを持って、入り口の柱のところによりかかっています。

 「ユリシーズ」には、何度もトネリコのステッキが出てくるのですが、このステッキも、トネリコなのかもしれません。

 「ユリシーズ」は、1922年の2月に、この写真を写したパリのシェイクスピア書店から出版されたとのことです・・。





2025年3月15日土曜日

読書・「猫と悪魔」ジェイムズ・ジョイス 訳・のどまる堂 画・米増由香 

 


 今年の冬は雪も多く、寒さも厳しかったので、例年よりも弥生・三月が待たれました。この写真は、2月の末頃に公園で写したものですが、わたしにとっては、このあたりでは、春にまず一番に咲く「マンサク」は、うれしい春の使者のような花です!



 ユリシーズを書いたジェイムズ・ジョイスが、孫のために書いた手紙が「猫と悪魔」という絵本になっているというのを、友人に教えていただき、早速、取り寄せて読んでみました。

 この本は、第一部と、第二部に分かれています。

 第一部の絵本の部分の米増由香さんの画もおしゃれで好感が持てましたし、特に眼鏡をかけている悪魔の顔は、なぜか作者のジョイスに似ていて、クスリとしてしまったのですが、彼は自分のことを悪魔と呼んでいたということなので、納得でした・・。

 そういえば、いま読んでいる「ユリシーズ」のⅡにも「悪魔」という言葉が出てきます。

 絵本の中のフランスのボージョンシーの市長の名前が、アルフレッド・バーンで、何と当時のアイルランドの実在の政治家と同じということですが、ジョイスのことですから猫に水をかけてしまうような市長の名前は、あの名前にしちゃえという感じだったのだと思ったのでした・・。



 第二部には、英語の原文が対訳付きで載っていて、翻訳者ののどまる堂さんによるジョイスの作品の紹介などもあり、楽しめる内容になっています。

 のどまる堂さんは、ジョイスの翻訳なのでやはり苦心なさったようですが、フランス語で「Messieurs les Balgentiens.」と、悪魔がボージョンシー市民に呼び掛けるフランス語のところでは、何と「ビーナンビージョンシーの諸君」と、おもしろ訳をなさっていました・・!

 悪魔のジョイスもびっくり!メガネを落としてしまったかもしれません。

 


 それにしても、ジョイスは猫好きだったようで、チューリッヒのレストランの牝猫にモリィと名前をつけたということですが、「ユリシーズ」の主人公の妻の名前も同じモリィなのでした!

 この絵本は、ジョイスのファンでしたら、とても楽しめる内容になっていて、いま「ユリシーズ」を読んでいるわたしにとっても、タイムリーな読書でした・・。





2025年3月11日火曜日

きみがため春の野にいでて・・・

 

 三月にはいり、先日降った春の雪で、庭のうさぎは、こんなふうになっていました。



 春の雪はパウダースノーのふわふわの雪ですぐにとけてしまったのですが、春蘭の青い葉に積もった雪を見ていましたら、古今和歌集の光孝天皇のあの歌を思い出してしまいました。

・-・-・-・-・

きみがため春の野に出でてわかなつむ我が衣手(ころもで)に

                   雪はふりつゝ

 ・-・-・-・-・ 古今和歌集 巻第一 春歌上 27p



 

 この歌の詞書には、こう書いてあります。「仁和のみかど、親王(みこ)におましける時に、人に若菜たまひける御うた」

 仁和のみかどとは、光孝天皇のことで、まだ親王でいらっしゃったときに、若菜をつんでどなたかに下されたときに添えられた御歌とのことです。

 若菜とは、春の七草などのことかと思うのですが、贈る相手の健康や幸いを願うやさしいこころ遣いも感じられます。




 この歌は、定家の百人一首の15番にも選ばれていてなじみがあり、学生時代からいつのまにかそらで覚えているわたしの好きな歌でした。

 調べてみると、光孝天皇は、55歳で天皇になられたとか。容姿端麗で教養もあり謙虚な人柄で、源氏物語の光源氏のモデルともいわれているようです。

 このような背景を知ると、ますますこの歌が、好きになりました。


♪きみがため春の野に出でてわかなつむ我が衣手(ころもで)に

                   雪はふりつゝ

                           光孝天皇





2025年3月3日月曜日

2025年3月3日・・・わたしの雛飾り・・・

 

 ことしは、最強と言われる寒波が、二度も日本列島にやってきて、とても寒い冬になっています。

 きょうは3月3日、ひな祭りの日ですが、午前中にふわふわのわた雪がふり、辺りはすっかり真っ白の雪景色になってしまいました。




 2025年の雛飾りは、つるし雛など、いつものわたしの手作りのおひなさまを飾りました。




 真ん中は普段から飾ってある日本人形ですが、今年は小さな和紙で作った箱入りのお雛様もそえてみました。(この小さな和紙で作ったおひなさまは、以前に湯島天神の梅まつりに行ったとき、折り紙展で購入したものです。)






        右の小さなおひなさまもわたしの手作り


       つるし雛と、うさぎ雛、わたしの手作りです。


 毎年、自分のためにだけ飾るささやかなお雛様ですが、作っていたころの楽しい時間を思い出し、小さな幸せを感じるひとときになっています・・。

 


2025年2月16日日曜日

読書・「幻想の肖像」澁澤龍彦著・河出文庫と、「三島由紀夫の美学講座」谷川渥篇・ちくま文庫の接点

 


 散歩していると、まだまだ雪が残っていて、木の切り株に積もった雪は、こんな感じで、まるでアイスクリームか、ふわふわのメレンゲのようです。




 最近の読書は、2,3冊の本を同時進行で読むことが多くなりました。先日も澁澤龍彦さんが書かれた「幻想の肖像」と、三島由紀夫さんの「三島由紀夫の美学講座」を、交互に読んでいましたら、澁澤龍彦さんが、三島さんの文を引用なさっているのに気づきました。

 それは、澁澤さんの「幻想の肖像」のなかの、ヤコボ・ツッキの「珊瑚採り」の絵の紹介のところなのですが、三島由紀夫さんのこんな文を引用なさっていたのでした。

・-・-・-・-・

「なかでもツッキの『海の宝』は、ギュスタアヴ・モロオの筆触を思わせるものがあり、前景では多くの裸婦が真珠や珊瑚を捧げ持ち、その背後には明るい海がえがかれて、無数の男女の遊泳者が、さまざまのきらびやかな宝を海から漁(あさ)っているところである。」(『アポロの杯』より)

    引用・「幻想の肖像」120p (三島由紀夫の文からの引用)

・-・-・-・-・

 三島由紀夫さんは、昭和27年5月のローマ滞在中にこの絵があるボルゲーゼ美術館でこの絵を観ていらしたとのこと・・。
  

 澁澤龍彦さんは、当時の美術批評界には、ヤコボ・ツッキという十六世紀のイタリアの画家について、言及している人はなく、三島由紀夫さんがこの画家について発言した最初の日本人だったのかもしれないと、書かれています。

 私は、三島由紀夫さんの評論が好きですが、彼は画にも造詣が深く、ご自分の審美眼で観ていらしたのだと今更ながら、思ったのでした。




 「三島由紀夫の美学講座」ちくま文庫は、ほとんど同じ文ですが、ツッキはZucchiとなっています。

・-・-・-・-・

「なかでもZucchiの「海の宝」(十六世紀)は、ギュスタアヴ・モロオの筆触を思わせるものがあり、前景では多くの裸婦が真珠や珊瑚(さんご)を捧げもち、その背後には明るい海がえがかれて、無数の男女の遊泳者が、さまざまのきらびやかな宝を海から漁(あさ)っているところである。」

引用 「三島由紀夫の美学講座」の165p

        「羅馬」より (三島由紀夫の文)

・-・-・-・-・

 このように、三島由紀夫さんの同じ文を、2つの作品から偶然にも読んだことで、このヤコブ・ツッキという未知のイタリアの画家の絵は、わたしにとって忘れられないものになったのでした。

 そしてまた、わたしの紛失物が見つかるという不思議な出来事もあったのです。



 それは、一年以上も前に紛失していたわたしの真珠のピアスですが、本を読んだ翌朝にベットの枕のところで見つかったのです。

 ヤコブ・ツッキの絵には、真珠や珊瑚を捧げ持っている姿が描かれていたのですから、偶然とはいえ、真珠のピアスの発見は、とても不思議でうれしい出来事でした!







2025年2月14日金曜日

映画・「シェイクスピアの庭」ケネス・ブラナウ監督作品   すばらしいシェイクスピアのソネットの朗誦・・

 

 庭のエサ台にヒマワリの種を食べに来た「ヤマガラ」です。ヤマガラの色はよく見ると、黒と白、グレーに茶色というシックな色あいの装いで、おしゃれな野鳥です。きょうは他には、ゴジュウカラも来ました。


              ヤマガラ

 ケネス・ブラナウ監督の映画「シェイクスピアの庭」を、観ました。観るのはたしか、4度目ぐらいだと思うのですが、今回、特に映画の中でわたしがいちばんこころに残ったシーンがありました。

 それは、晩年にストラット・フォード・アポン・エイボンの自宅にもどったシェイクスピアを、久しぶりに友人のサウザンプトン伯が訪ねてきて、ソネットをふたりで朗誦する場面でした。

 暖炉の火と、ろうそくの灯りだけがふたりの顔を照らす静かな部屋で、サウザンプトン伯役のイアン・マッケランがシェイクスピアのすばらしいソネットの朗唱をしたのです!

 彼のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで鍛えたと思われるなめらかなベルベットのような英語の発音に、わたしの脳はすっかりとろけるように、打ちのめされてしまったのでした。

 早速、シェイクスピアのソネット集を、開いて読んでみたのですが、この映画に出てくるサウザンプトン伯は、この詩のモデルのひとりと思われるとのこと。

 ソネットは、シェイクスピアのうつくしい若者に対するひたむきな愛と賛辞につきていて、驚くのですが、いまはすっかり老齢になったサウザンプトン伯の若いころがしのばれました。シェイクスピアは、ソネットを詠うことにより美しい若者への究極の愛を、言葉で永遠に残そうとしたのだと思います。


            ゴジュウカラ

 この映画は、シェイクスピアが、1613年にロンドンのグローブ座が焼け落ちた後、筆をおり、20年間も留守にしていた故郷のストラッドフォード・アポン・エイボンの家族のもとに帰り、そこでおくった余生の話ですが、家族に起こっていた悲劇と和解の話にもなっていました。

 シェイクスピアの作品の中には、多くの植物が出てくるのですが、その植物と同じものが、いまでも保存されているシェイクスピアの家の庭や、妻のアンの実家の庭にも、植えられているとのこと。

 そういえば、むかし、夏のころにアンの実家を訪ねたときに、庭にはあふれんばかりの多数の花が咲いていたのを、思い出します。

 映画の中でも、シェイクスピアが庭作りに励む姿が出てきました。

 監督のケネス・ブラナウも、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの出身のようですが、主役のシェイクスピアも演じており、彼のこの映画にかける意気込みも強く感じられました。

 セリフには、シェイクスピアの作品からのものも多数ありますし、ソネットや詩の引用、そして凝った画面構成や、音楽、個性的な俳優など、わたしのベスト10に入る映画でした。

    


   


 

2025年2月12日水曜日

読書・「ユリシーズ]Ⅰ ジェイムズ・ジョイス著 丸谷才一・永川玲二・高松雄一 訳 集英社文庫      ♪ブルームの猫     

 


  今年の冬は、数年に一度という寒波も来ましたし、いつもの冬よりも寒いような気がします。散歩していると、雪はまだ大分残っていて、真っ白の雪の上に「まつぼっくり」をおいてみると、冬に咲く花のように見えました。




 ついにというか、長年の間、積読本だったユリシーズを、読み始めました。多分、本には「読み時」というのがあり、わたしにとっては、いまがそうなのかもしれません。

 ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」は、プルーストの「失われた時を求めて」といっしょに20世紀文学の双璧と言われているほどなので、長い間読みたかった本でした。

 プルーストの、「失われた時を求めて」は、(別の翻訳者で4回)、10年以上もかけて、すでに読み終えています。「失われた時を求めて」は、主人公が幼い時から芸術家になるという決意をするところまでの長い人生の物語であるのに対し、ジョイスの「ユリシーズ」は主人公のダブリンでのある特定の一日(1904年6月16日)の物語という違いがあります。

 共通点としては、どちらも12巻や4巻という長い物語で、訳注が多いということがあげられるのかなと思います。



 また、プルーストの本には、猫や犬などがほとんど出てきませんが、ジョイスの本には出てきます。多分猫を飼っていたのだと思いますが、猫の描写をとても巧みに愛情込めて書いています。

 主人公のブルームの飼い猫の描写は、140p~141pまで猫好きの方にはたまらないと思われるような、猫の本質を語っているような上質な描写なのです。

 ブルームの猫は、なめらかな皮膚の黒猫で、しなやかな体と、きらめくような緑いろの宝石のような目の持ち主のようです・・。猫にあげるミルクは、ここではダブリン市内にあるハンロン牛乳店の配達人が、牛乳を一杯にしていったばかりの大瓶から皿に注いであげるのでした。

 このハンロン牛乳店とは当時のダブリンには、同じ名前の店が3軒ありたぶん、ここだろうと、訳注で店の特定までされているのですから、恐れ入ってしまいます。

 プルーストの本にももちろん、研究者が調べた百科事典があるのですが、ジョイスのこの本にも、あるようです。




 「ユリシーズ」のⅠは、午前8時、マーテロ塔に住む3人の朝から始まります。まだ主人公はあらわれていないのですが、その3人のなかのひとりは「芸術家の肖像」の主人公のスティーブンで、22歳、学校教師・詩人として出てきます。

 ジョイスの書き方は、言葉の魔術師のように、言葉や文体までもさまざまに駆使して書いているのですが、その言葉の訳注も重要なポイントになっているのです。

 ジョイスが目指したのは、新しい文学の形式だと思うのですが、わたしにとっては、当時のダブリンの日常生活の細部が、とても興味深くおもしろく感じました。

 たとえば、午前8時すぎにスティーブンと、マリガンとヘインズは、朝食を食べるのですが、メニューは、バターと蜂蜜をつけたパン、焼いたベーコンと卵、濃くいれたTEA、そこに入れるミルクは、朝しぼりたてのものを老婆が売りにくる。というもので、ほとんど英国と同じようなメニューで、おいしそうだと感じました。

 わたしがロンドンに住んでいたときには、毎朝、専用の電気自動車にミルクを積んだ「ミルクマン」が、牛乳瓶を玄関前においてくれたのを思い出したのですが、老婆が朝しぼりたてのミルクを売りに来るという場合、ジョイス語ではどういうのかしらと、あれこれ考えて笑ってしまいました。

 (わたしの日本語訳では、「ミルクおばば」とか、ひねりをきかせて、老婆なのにわざと気取って「ミルクレディー」とか・・。)

 ジョイスの毒舌は、紅茶を入れるポットを、おまるのポットといっしょにして、「おんなじポット」を使用とかなんとか言ったり・・するのです。

 これなどは、もちろん、ほんの序の口なのですが・・。ジョイス語の多用の結果、当時の社会では発禁本になったというのも頷けます。




 ブルームの妻は、オペラの歌手という設定ですが、ジョイス自身もコンクールに出たり歌が上手だったようですから、やはりアイルランド人は歌や音楽が好きという定説は、本当のようです。

 本の最後に、池内紀さんが、「ジョイス語積木箱」というエッセイを書かれていますが、彼によれば、ジョイスは翻訳者に地獄の苦しみを与えているが、読者は、この本を積み木のように、自由にして言葉を遊んで楽しめばよいということです。

 そして、本文の、「片柄つき間男」とは何か?を訳注が告げていると、のべられているのですが、ご専門のゲーテの「イタリア紀行」を持ち出して、そこに出てくる人物を特定され、おもしろい解説をなさっています。

 多分、ジョイスは、最上の知的なしゃれで、言葉を駆使して、わたしたち読者をけむりにまいて、どこかで笑っているような気がしたのでした・・・。



  









2025年1月6日月曜日

読書・「移動祝祭日」ヘミングウェイ著 高見浩訳 新潮文庫

 


 今の季節に散歩していると、ヤマユリの実のドライフラワーをあちこちで見ることができます。雪の野をバックに写すと、造形がとてもすてきで、斬新なオブジェのようです・・。




 ヘミングウェイの「移動祝祭日」を読みました。先日ある本を読んでいましたら、ジェイムズ・ジョイスのことが「移動祝祭日」に書いてあるというので、改めて読んでみたのでした。

 この本は、ヘミングウェイの遺作ですが、最初の妻ハドリーと結婚し、パリで過ごした若いころのなつかしい日々のことが、回想として書かれています。

 1920年代のそのころのパリは、新しい芸術の波が来ていたようで、ヘミングウェイがパリにわたって1か月後ぐらいには、あのジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」が、シェイクスピア書店のシルヴィア・ビーチの手で刊行されていたと、高見浩さんの解説に書いてありました。 

 


 「移動祝祭日」の中には、やはりジョイス一家がミショーというレストランでよく食事をとり、家族はイタリア語で語りあっていたということや、のちにはヘミングウェイが、偶然にジョイスと街で出会ったときには、ドウー・マゴでいっしょにお酒を飲むまでの友達になっていたとも書かれていました。

 ジョイスについての記述はこれだけでしたが、ヘミングウェイは、ジェイムズ・ジョイスを、尊敬していたことが、行間から感じられました。

 


 ところで、この本のタイトルにもなっている「移動祝祭日」についてですが、最初の見開きのページに、友への言葉としてこんな風に書かれています。

・-・-・-・-・

「もし幸運にも、若者のころ、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」

・-・-・-・-・  引用 最初の見開きのページより


 1921年、ヘミングウェイは22歳のときに、ハドリーと結婚してパリに住み始めたのですが、この言葉のように、ヘミングウェイにとってパリは、その後の彼の人生に、いつもついてくる「移動祝祭日」だったのだと思います。

 そして、彼が老いてから、パリの思い出を回想したときに、そこにはいつも最初の妻だった最愛のハドリーがいたのだと実感したのでした。



 本の最後の言葉を読んだときに、彼のその後の人生の最後の結末を思い、胸がきゅんとしてきたのは、わたしだけだったのでしょうか・・・。

 こんな言葉で、終わっているのです。

・-・-・-・-・

・・・私たちはいつもパリに帰った。パリは常にそれに値する街だったし、こちらが何をそこにもたらそうとも、必ずその見返りを与えてくれた。が、ともかくもこれが、その昔、私たちがごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である。

・-・-・-・-・ 引用 300p


 上の文にも書かれているように、わたしたちというのは、ヘミングウェイと、最初の妻のハドリーのことで、この本は彼のハドリーに対するオマージュとして書かれたのだと、思ったのでした・・。







 

2025年1月5日日曜日

雪の降った翌日の散歩・・。同じ穴の狢(むじな)とは・・・


  新年になりました。今年の冬は例年よりも寒さが厳しく感じられます。雪の降る量は少ないのですが、年末や年始にかけ、一日おきぐらいに降っています。公園のいつもの散歩道は、こんな感じになっていました。




 雪道を散歩していると、いろいろな小動物や野鳥の足跡に出会うのですが、いちばんわかりやすいのは、ウサギです。前足を2つついてから、後ろ足をそろえたこんな足跡です。でも、ウサギは冬に雪の上の足跡は見るのですが、姿はほとんど見たことがありません。


              ウサギの足跡

  昨年の秋には、この林でアナグマ3頭を見たのですが、冬は冬眠中なのかまったく見かけません。多分家族だと思うのですが、3頭が連れ立ってしきりに地面に落ちているものを食べていました。雑食性ということなので、ドングリだったのではと思います。昨年の9月に写したアナグマの写真です。カメラをむけても警戒心がまるでなく、かなり近くで写せました。


             ニホンアナグマ

 そういえば、同じ時期にタヌキも2頭見たのですが、調べてみるとタヌキもアナグマと同じ巣穴を使うことがあるということです。アナグマはニホンアナグマといい、日本固有の在来種で絶滅危惧種とのこと。

 昔はタヌキもアナグマもいっしょに、貉(むじな)と言われていたようで、「同じ穴の狢」というのは、タヌキもアナグマも同じ巣穴を使うことからそういわれたとか・・・。おもしろい発見でした!

 そんなことを考えながらのきょうの雪道の散歩は、楽しかったです・・・。