7月18日に、大原の三千院を訪ねてきました。
今回は、高校の修学旅行以来の2度目の訪問でした。三千院は、代々皇族が住職を勤める門跡で、裏手には、後鳥羽天皇と、順徳天皇の陵があるというのを、初めて知りました。
後鳥羽天皇は、和歌にも造詣が深く、新古今集の勅撰を命じたほどで、ご自身も歌を作られています。また、皇室の権威を取り戻そうと、鎌倉幕府に対して承久の乱をおこしますが、敗れて隠岐に流されてしまいます。
隠岐で、60歳で崩御の後、後鳥羽天皇の皇子が門跡を勤めていた三千院に陵を造られたということです。順徳天皇は、後鳥羽天皇の王子ですが、同じく承久の乱で敗北し、佐渡に配流になりました。
百人一首には、お二人の歌が残されています。
99「人も惜し 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに もの思ふ身は」
後鳥羽院
100「ももしきや 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり」
順徳院
三千院の往生極楽院(真ん中)
三千院御殿門(右下)
三千院の往生極楽院には、阿弥陀三尊像があり、その天井は、舟底型になっていて、極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が、極彩色で描かれています。
その複製模写を見たのですが、極彩色の天女や菩薩の背景のブルーが、何とも言えないような鮮やかなブルーでした。
政争に明け暮れた平安末期のあの時代に極楽浄土を夢見た人の天上の色は、あのブルーだったのだと思いました。
往生極楽院舟底型天井画 復元模写
三千院のパンフレットから
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