映像で寺山修司を見たのは、今年の1月でした。早稲田大学演劇博物館が主催の「いまだ知られざる寺山修司展」でのことです。
そこで寺山修司の秘書を、亡くなるまでの16年間なさっていたという田中未知さんの存在を知りました。
未知さんは、「寺山修司と生きて」という本を書かれていますので、読んでみました。
わたしが一番こころに残ったのは、寺山修司は、限りなく女性にもてたという一言でした。
未知さんは、それは相手の話に真面目に耳を傾けるたぐいまれな聞き上手であったからだと分析されていますが、相手の話をじっくりと聞くことができるのは、やさしさがなければできないともおっしゃっています。
女性にもてたということは、寺山修司の魔力のひとつで、多分、彼に会った人は誰でも彼の魔力のようなものにひかれたということなのかもしれません。
寺山修司の映像と声からは、ちょっとかっこつけた外見と青森生まれの言葉なまりなど、想像通りの寺山修司が感じられたのですが、彼は中学や高校のころから、俳句や短歌で頭角を現し、言葉に目覚めていったとか。
15歳の言葉に目覚めたころの俳句がこれです。
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目つむりてゐても吾(あ)を統(す)ぶ五月の鷹
林檎の木ゆさぶりやまず逢ひたきとき
流すべき流燈われの胸照らす
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