須賀敦子さんの本を知るようになったのは、本好きの知人からのお薦めでした。
「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「トリエステの坂道」
「地図のない道」「ユルスナールの靴」「遠い朝の本たち」などなど何度読んだことでしょう。
どれも、須賀さんの人柄と知性を感じさせる本で、こういう女性がイタリアで結婚して暮らし、彼女の深い異文化体験を、エッセイで伝えてくれたことに、感謝したいと思うのはわたしだけでしょうか。
「遠い朝の本たち」は、彼女の幼少のころからの読書を、彼女の人生と絡めて書いていらっしゃいますが、好きな1冊です。
「小さなファデット」という章には、彼女が幼年時代を過ごした六甲の山すそにある家に住んでいた頃の思い出が書かれています。
ファデットとは、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」という本に出てくる主人公の名前ですが、須賀さんは、六甲の山すそで、山ツツジや、他のツツジを探しまわって遊んだお転婆だったころのご自分を、ファデットと重ね合わせていらっしゃいます。
ファデットは、お転婆でしたが、かしこい少女で、最後にはしあわせになるというストーリーです。でもお転婆だけではなく、かしこいという共通点も、二人にはあると思いました。
「ダフォディルがきんいろにはためいて・・・・・・」
この章は、ワーズワースの「ダフォディル」という詩について書いてあるのですが、彼女が専門学校の英文科生になったときの思い出です。
英語のDaffodilを、ラッパスイセンやスイセンではなく「ダフォディル」と、須賀さんが訳された理由についてこうおっしゃつています。、
ラッパズイセンという日本語はラッパという語感から軍隊を連想してしまうことと、奇妙に乾いた音が嫌だったから、
また、スイセンという語感からの日本のいじらしい女性というイメージをもってきたくなかったからとも・・。
須賀さんの言葉に対するこだわりが、深く感じられた読書でした。
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