ことしは、最強と言われる寒波が、二度も日本列島にやってきて、とても寒い冬になっています。
きょうは3月3日、ひな祭りの日ですが、午前中にふわふわのわた雪がふり、辺りはすっかり真っ白の雪景色になってしまいました。
2025年の雛飾りは、つるし雛など、いつものわたしの手作りのおひなさまを飾りました。
ことしは、最強と言われる寒波が、二度も日本列島にやってきて、とても寒い冬になっています。
きょうは3月3日、ひな祭りの日ですが、午前中にふわふわのわた雪がふり、辺りはすっかり真っ白の雪景色になってしまいました。
2025年の雛飾りは、つるし雛など、いつものわたしの手作りのおひなさまを飾りました。
散歩していると、まだまだ雪が残っていて、木の切り株に積もった雪は、こんな感じで、まるでアイスクリームか、ふわふわのメレンゲのようです。
最近の読書は、2,3冊の本を同時進行で読むことが多くなりました。先日も澁澤龍彦さんが書かれた「幻想の肖像」と、三島由紀夫さんの「三島由紀夫の美学講座」を、交互に読んでいましたら、澁澤龍彦さんが、三島さんの文を引用なさっているのに気づきました。
それは、澁澤さんの「幻想の肖像」のなかの、ヤコボ・ツッキの「珊瑚採り」の絵の紹介のところなのですが、三島由紀夫さんのこんな文を引用なさっていたのでした。
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「なかでもツッキの『海の宝』は、ギュスタアヴ・モロオの筆触を思わせるものがあり、前景では多くの裸婦が真珠や珊瑚を捧げ持ち、その背後には明るい海がえがかれて、無数の男女の遊泳者が、さまざまのきらびやかな宝を海から漁(あさ)っているところである。」(『アポロの杯』より)
引用・「幻想の肖像」120p (三島由紀夫の文からの引用)
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澁澤龍彦さんは、当時の美術批評界には、ヤコボ・ツッキという十六世紀のイタリアの画家について、言及している人はなく、三島由紀夫さんがこの画家について発言した最初の日本人だったのかもしれないと、書かれています。
私は、三島由紀夫さんの評論が好きですが、彼は画にも造詣が深く、ご自分の審美眼で観ていらしたのだと今更ながら、思ったのでした。
「三島由紀夫の美学講座」ちくま文庫は、ほとんど同じ文ですが、ツッキはZucchiとなっています。
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「なかでもZucchiの「海の宝」(十六世紀)は、ギュスタアヴ・モロオの筆触を思わせるものがあり、前景では多くの裸婦が真珠や珊瑚(さんご)を捧げもち、その背後には明るい海がえがかれて、無数の男女の遊泳者が、さまざまのきらびやかな宝を海から漁(あさ)っているところである。」
引用 「三島由紀夫の美学講座」の165p
「羅馬」より (三島由紀夫の文)
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このように、三島由紀夫さんの同じ文を、2つの作品から偶然にも読んだことで、このヤコブ・ツッキという未知のイタリアの画家の絵は、わたしにとって忘れられないものになったのでした。
そしてまた、わたしの紛失物が見つかるという不思議な出来事もあったのです。
それは、一年以上も前に紛失していたわたしの真珠のピアスですが、本を読んだ翌朝にベットの枕のところで見つかったのです。
ヤコブ・ツッキの絵には、真珠や珊瑚を捧げ持っている姿が描かれていたのですから、偶然とはいえ、真珠のピアスの発見は、とても不思議でうれしい出来事でした!
庭のエサ台にヒマワリの種を食べに来た「ヤマガラ」です。ヤマガラの色はよく見ると、黒と白、グレーに茶色というシックな色あいの装いで、おしゃれな野鳥です。きょうは他には、ゴジュウカラも来ました。
ケネス・ブラナウ監督の映画「シェイクスピアの庭」を、観ました。観るのはたしか、4度目ぐらいだと思うのですが、今回、特に映画の中でわたしがいちばんこころに残ったシーンがありました。
それは、晩年にストラット・フォード・アポン・エイボンの自宅にもどったシェイクスピアを、久しぶりに友人のサウザンプトン伯が訪ねてきて、ソネットをふたりで朗誦する場面でした。
暖炉の火と、ろうそくの灯りだけがふたりの顔を照らす静かな部屋で、サウザンプトン伯役のイアン・マッケランがシェイクスピアのすばらしいソネットの朗唱をしたのです!
彼のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで鍛えたと思われるなめらかなベルベットのような英語の発音に、わたしの脳はすっかりとろけるように、打ちのめされてしまったのでした。
早速、シェイクスピアのソネット集を、開いて読んでみたのですが、この映画に出てくるサウザンプトン伯は、この詩のモデルのひとりと思われるとのこと。
ソネットは、シェイクスピアのうつくしい若者に対するひたむきな愛と賛辞につきていて、驚くのですが、いまはすっかり老齢になったサウザンプトン伯の若いころがしのばれました。シェイクスピアは、ソネットを詠うことにより美しい若者への究極の愛を、言葉で永遠に残そうとしたのだと思います。
この映画は、シェイクスピアが、1613年にロンドンのグローブ座が焼け落ちた後、筆をおり、20年間も留守にしていた故郷のストラッドフォード・アポン・エイボンの家族のもとに帰り、そこでおくった余生の話ですが、家族に起こっていた悲劇と和解の話にもなっていました。
シェイクスピアの作品の中には、多くの植物が出てくるのですが、その植物と同じものが、いまでも保存されているシェイクスピアの家の庭や、妻のアンの実家の庭にも、植えられているとのこと。
そういえば、むかし、夏のころにアンの実家を訪ねたときに、庭にはあふれんばかりの多数の花が咲いていたのを、思い出します。
映画の中でも、シェイクスピアが庭作りに励む姿が出てきました。
監督のケネス・ブラナウも、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの出身のようですが、主役のシェイクスピアも演じており、彼のこの映画にかける意気込みも強く感じられました。
セリフには、シェイクスピアの作品からのものも多数ありますし、ソネットや詩の引用、そして凝った画面構成や、音楽、個性的な俳優など、わたしのベスト10に入る映画でした。
今年の冬は、数年に一度という寒波も来ましたし、いつもの冬よりも寒いような気がします。散歩していると、雪はまだ大分残っていて、真っ白の雪の上に「まつぼっくり」をおいてみると、冬に咲く花のように見えました。
ついにというか、長年の間、積読本だったユリシーズを、読み始めました。多分、本には「読み時」というのがあり、わたしにとっては、いまがそうなのかもしれません。
ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」は、プルーストの「失われた時を求めて」といっしょに20世紀文学の双璧と言われているほどなので、長い間読みたかった本でした。
プルーストの、「失われた時を求めて」は、(別の翻訳者で4回)、10年以上もかけて、すでに読み終えています。「失われた時を求めて」は、主人公が幼い時から芸術家になるという決意をするところまでの長い人生の物語であるのに対し、ジョイスの「ユリシーズ」は主人公のダブリンでのある特定の一日(1904年6月16日)の物語という違いがあります。
共通点としては、どちらも12巻や4巻という長い物語で、訳注が多いということがあげられるのかなと思います。
また、プルーストの本には、猫や犬などがほとんど出てきませんが、ジョイスの本には出てきます。多分猫を飼っていたのだと思いますが、猫の描写をとても巧みに愛情込めて書いています。
主人公のブルームの飼い猫の描写は、140p~141pまで猫好きの方にはたまらないと思われるような、猫の本質を語っているような上質な描写なのです。
ブルームの猫は、なめらかな皮膚の黒猫で、しなやかな体と、きらめくような緑いろの宝石のような目の持ち主のようです・・。猫にあげるミルクは、ここではダブリン市内にあるハンロン牛乳店の配達人が、牛乳を一杯にしていったばかりの大瓶から皿に注いであげるのでした。
このハンロン牛乳店とは当時のダブリンには、同じ名前の店が3軒ありたぶん、ここだろうと、訳注で店の特定までされているのですから、恐れ入ってしまいます。
プルーストの本にももちろん、研究者が調べた百科事典があるのですが、ジョイスのこの本にも、あるようです。
「ユリシーズ」のⅠは、午前8時、マーテロ塔に住む3人の朝から始まります。まだ主人公はあらわれていないのですが、その3人のなかのひとりは「芸術家の肖像」の主人公のスティーブンで、22歳、学校教師・詩人として出てきます。
ジョイスの書き方は、言葉の魔術師のように、言葉や文体までもさまざまに駆使して書いているのですが、その言葉の訳注も重要なポイントになっているのです。
ジョイスが目指したのは、新しい文学の形式だと思うのですが、わたしにとっては、当時のダブリンの日常生活の細部が、とても興味深くおもしろく感じました。
たとえば、午前8時すぎにスティーブンと、マリガンとヘインズは、朝食を食べるのですが、メニューは、バターと蜂蜜をつけたパン、焼いたベーコンと卵、濃くいれたTEA、そこに入れるミルクは、朝しぼりたてのものを老婆が売りにくる。というもので、ほとんど英国と同じようなメニューで、おいしそうだと感じました。
わたしがロンドンに住んでいたときには、毎朝、専用の電気自動車にミルクを積んだ「ミルクマン」が、牛乳瓶を玄関前においてくれたのを思い出したのですが、老婆が朝しぼりたてのミルクを売りに来るという場合、ジョイス語ではどういうのかしらと、あれこれ考えて笑ってしまいました。
(わたしの日本語訳では、「ミルクおばば」とか、ひねりをきかせて、老婆なのにわざと気取って「ミルクレディー」とか・・。)
ジョイスの毒舌は、紅茶を入れるポットを、おまるのポットといっしょにして、「おんなじポット」を使用とかなんとか言ったり・・するのです。
これなどは、もちろん、ほんの序の口なのですが・・。ジョイス語の多用の結果、当時の社会では発禁本になったというのも頷けます。
ブルームの妻は、オペラの歌手という設定ですが、ジョイス自身もコンクールに出たり歌が上手だったようですから、やはりアイルランド人は歌や音楽が好きという定説は、本当のようです。
本の最後に、池内紀さんが、「ジョイス語積木箱」というエッセイを書かれていますが、彼によれば、ジョイスは翻訳者に地獄の苦しみを与えているが、読者は、この本を積み木のように、自由にして言葉を遊んで楽しめばよいということです。
そして、本文の、「片柄つき間男」とは何か?を訳注が告げていると、のべられているのですが、ご専門のゲーテの「イタリア紀行」を持ち出して、そこに出てくる人物を特定され、おもしろい解説をなさっています。
多分、ジョイスは、最上の知的なしゃれで、言葉を駆使して、わたしたち読者をけむりにまいて、どこかで笑っているような気がしたのでした・・・。
今の季節に散歩していると、ヤマユリの実のドライフラワーをあちこちで見ることができます。雪の野をバックに写すと、造形がとてもすてきで、斬新なオブジェのようです・・。
ヘミングウェイの「移動祝祭日」を読みました。先日ある本を読んでいましたら、ジェイムズ・ジョイスのことが「移動祝祭日」に書いてあるというので、改めて読んでみたのでした。
この本は、ヘミングウェイの遺作ですが、最初の妻ハドリーと結婚し、パリで過ごした若いころのなつかしい日々のことが、回想として書かれています。
1920年代のそのころのパリは、新しい芸術の波が来ていたようで、ヘミングウェイがパリにわたって1か月後ぐらいには、あのジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」が、シェイクスピア書店のシルヴィア・ビーチの手で刊行されていたと、高見浩さんの解説に書いてありました。
「移動祝祭日」の中には、やはりジョイス一家がミショーというレストランでよく食事をとり、家族はイタリア語で語りあっていたということや、のちにはヘミングウェイが、偶然にジョイスと街で出会ったときには、ドウー・マゴでいっしょにお酒を飲むまでの友達になっていたとも書かれていました。
ジョイスについての記述はこれだけでしたが、ヘミングウェイは、ジェイムズ・ジョイスを、尊敬していたことが、行間から感じられました。
ところで、この本のタイトルにもなっている「移動祝祭日」についてですが、最初の見開きのページに、友への言葉としてこんな風に書かれています。
・-・-・-・-・
「もし幸運にも、若者のころ、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」
・-・-・-・-・ 引用 最初の見開きのページより
1921年、ヘミングウェイは22歳のときに、ハドリーと結婚してパリに住み始めたのですが、この言葉のように、ヘミングウェイにとってパリは、その後の彼の人生に、いつもついてくる「移動祝祭日」だったのだと思います。
そして、彼が老いてから、パリの思い出を回想したときに、そこにはいつも最初の妻だった最愛のハドリーがいたのだと実感したのでした。
本の最後の言葉を読んだときに、彼のその後の人生の最後の結末を思い、胸がきゅんとしてきたのは、わたしだけだったのでしょうか・・・。
こんな言葉で、終わっているのです。
・-・-・-・-・
・・・私たちはいつもパリに帰った。パリは常にそれに値する街だったし、こちらが何をそこにもたらそうとも、必ずその見返りを与えてくれた。が、ともかくもこれが、その昔、私たちがごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である。
・-・-・-・-・ 引用 300p
上の文にも書かれているように、わたしたちというのは、ヘミングウェイと、最初の妻のハドリーのことで、この本は彼のハドリーに対するオマージュとして書かれたのだと、思ったのでした・・。
きょうは、寒い一日でした。寒いこんな日には、いつも決めている散歩コースを、ショートカットしての散歩でした。散歩の途中で見つけたガマズミの実です。冬の日差しの中で、もう葉もすっかり落ち、こんな感じになっていたのですが、まだ、最後の輝きを見せてくれていました・・。
老年と死をテーマとしたヘルマン・ヘッセのエッセイと詩を、ドイツのヘッセ研究者が集めて、本にしたものですが、彼の写真家の息子が写したモノクロの写真も、いっぱい載せられています。
ヘッセは1946年にノーベル文学賞を受賞していますが、彼の本は、「車輪の下」と「シッダールタ」などを読んだのみで、晩年にこのようなエッセイと詩を書いていらしたというのは、知りませんでした。
この本の中では、「秋の体験」という若いころの友人が訪ねてくるエッセイがこころに残りました。
彼の名前はオットーといい、ヘッセの少年時代からの友人で、温厚な人柄でもあり、彼は弁護士や市長なども務めたこともあったとか。そんな彼が、久しぶりにヘッセを訪ねて来てくれ、お二人でしあわせな時間を過ごされたとのこと・・。
その後、ご友人は、ご自宅に戻られてすぐに、75歳で亡くなられたとのことなので、お二人にとって人生での貴重な最後の時間であったと、思います。
少年時代にお二人は、同じ神学校の生徒として過ごされており、そのころのことは、「車輪の下」に書かれているとのことでした。
「人は成熟するにつれて若くなる」には、いくつか詩も載せられているのですが、その中ではこの詩「老いてゆく中で」がいちばん好きです。最初の4行を引用してみます。
・-・-・-・-・
老いてゆく中で
ヘルマン・ヘッセ
若さを保つことや善をなすことはやさしい
すべての卑劣なことから遠ざかっていることも
だが心臓の鼓動が衰えてもなお微笑むこと
それは学ばれなくてははならない
・-・-・-・-・ 引用56p
「微笑むこと」を、ヘッセは老いてもなお人生では学ばなくてはならない大事なことといっていますが、わたしも本当にそう思います。
わたしは、ふと宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出したのですが、賢治は、「雨ニモマケズ」の中で、たしか、こんなことを言っていました。
「イツモシズカニワラッテイル」「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と・・・。
「微笑むこと」と「イツモシズカニワラッテイル」は、どちらも人生の穏やかな究極の境地を示しているように感じたのでした・・。
12月に入り、数日暖かい日が続いていたのですが、きょうは青い空から雪がはらはらと舞う寒い一日でした。この時期になると、ノササゲの濃紺のすてきな果実を見つけるのを、いつも楽しみにしているのですが、今年も出会うことができました。さやがほんのりうすいピンク色に染まり、すてきでした・・。
山村暮鳥の「雲」という詩集の中に、「りんご」という詩があります。りんごは、大好きな果物でもあるので、好きな詩です。
・-・-・-・-・
りんご
山村暮鳥
両手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの気持ち
林檎が一つ
日あたりにころがってゐる
・-・-・-・-・ 引用76p
・-・-・-・-・
「おなじく」
山村暮鳥
林檎はどこにおかれても
うれしそうにまっ赤で
ころころと
ころがされても
怒りもせず
うれしさに
いよいよ
まっ赤に光りだす
それがさびしい
・-・-・-・-・ 引用78p~79p
このような暮鳥の詩を読んでいると、りんごに感情移入してしまっている感性豊かな詩人の姿が浮かび上がってくるのですが、同時に彼の人生や生活のことまで考えてしまうのは、わたしだけでしょうか・・。
暮鳥は、この詩集「雲」の序にこんなことを書いています。
・-・-・-・-・
詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。
だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。
・-・-・-・-・ 引用5p
暮鳥は、このようにいうことで、詩人として生きることのマニフェストを宣言したかったのかなと思えてきます。
芸術のない生活はたえられず、生活のない芸術もたえられないとも言っていますので、彼にとって詩を書くことは、生きることでもあり、人生のすべてだったのかもしれません・・。