2019年4月14日日曜日

自然・「2019年、奥州街道、芦野宿の桜・・」




 13日に、奥州街道・芦野宿の御殿山の桜を見に行ってきました。
 数日前までは、雪の降るような寒い天気でしたが、13日は17度にもなり、快晴の花見日和でした。



御殿山は、城跡ですが、小高い山のようになっていて、そこからは白い雪を被った那須連山が、くっきりときれいに見えました。
 地元の方のお話しでは、こんなに山がくっきりときれいに見えるのはめずらしいということでした。




 城跡の広場に植えられている桜は、ちょうど見頃で、地元の家族が花見を楽しんでいました。800本のソメイヨシノが植えられているそうです。




 那須歴史探訪館から見える御殿山の桜。




  御殿山の麓の武家屋敷にある樹齢400年のしだれ桜ですが、今年も見事に咲いてくれました。




  芦野の街はずれにある大きなお地蔵さんも、首を長くして桜の花が咲くのを待ちわびていたように見えました。
 今年は昨年よりも1週間ぐらい花期が遅かったようですから・・。
 


  

 花見の帰りに、芦野の伊豆屋さんにより「聖天まんじゅう」を買いました。
 黒糖と大豆、小麦粉だけで作られているシンプルですが、奥行きのある味わいのまんじゅうです。緑茶といっしょにおいしくいただきました。











2019年4月6日土曜日

自然・カタクリの花を見に・・





 カタクリの花があちこちで咲き始めました。
 散歩のときにも見ることができるのですが、今年も恒例になっているカタクリ山公園にカタクリの花を見に行ってきました。




 カタクリ山公園は、関東最大規模のカタクリ群生地で栃木県那珂川町にあり、雑木林3ヘクタールの中に、100万株のカタクリが咲いているということです。




 カタクリは種がこぼれてから咲くまでに6年ぐらいの年数がかかると知ってから、より
愛しい花になったのですが、それにしても雑木林の下に群生している様は、見事です。



 カタクリは、温度と太陽の光に敏感な花なので、気温が低く暗い夜には、花びらを閉じるということです。
 朝になってまたいっせいに花開く様子は、見事なのだろうなあと想像しました。



 カタクリの鱗茎は、でんぷんでできているので、昔はカタクリ粉を作っていたそうですが、いまはもうジャガイモからカタクリ粉は作られているようです。

 万葉集にも出てくるカタクリの花は、日本の風土に春を告げる花として、愛されてきたのですね・・。

2019年4月2日火曜日

歳時記・「新元号・令和」   (初春の令月にして・・・)




 
 新元号は、「令和」に決まりました。
 やわらかな感じで語感も良く、愛される元号になるのではと思います。

 


 万葉集からの出典というので、早速、手持ちの本を開いてみました。
 中西進さんの書かれた「万葉集」の(一)講談社文庫 です。




 天平二年正月十三日に大宰府の大伴旅人の家で、梅を愛でる宴が開かれ、そこで作られた梅の歌三十二首の序の言葉として書かれているものです。



  
「初春(しょしゅん)の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょう
ぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を
薫(かをら)す。」
         引用 万葉集(一)中西進著 講談社文庫・377p




 中西進さんによれば、

令月の「令」とは、「嘉」で、「時あたかも新春の好き月」とのこと。

風和ぎは、「風やわらかく」とそのまま、訳されています。




 わたしがおもしろいと思ったのは、その後に続く文です。白い梅の花を、美しい女性が、鏡の前でよそおう白い粉のようと形容しています。

 梅の花は、当時は外来の植物としてめずらしく大事にされていたということなので、大宰府の大伴旅人邸の庭にもきれいに咲いていたのでしょう。






 今朝のニュースで、大宰府天満宮の梅の花を見たのですが、いまでもずっと梅の花が大事にされているようです。

 もう、梅の花は終わりでしたが木の上の方に数輪だけ、残っていました。この写真の梅の花は、きょう(4月2日)に家の近くで写しました。きょうは一日中雪がちらつく寒い日でしたが、お昼頃雪が少し止んだときに写したものです。




 

2019年3月17日日曜日

和歌・「心にもあらぬわかれの名残りかは・・・・」            (夢のような春の淡雪の光景・・・)  




 先日の3月14日に降った春の淡雪です。



 春の雪はすぐに融けてしまうので、あわてて朝の9時頃に公園に行って写したのですが、やはり日中の晴天で気温がぐんぐん上がり、夕方にはほとんど消えていました。




 消えてしまうのが惜しいほどのきれいな雪景色だったのですが、そういえば、春の雪を詠った定家のこんな歌がありました。

    「心にもあらぬわかれの名残りかは
          消えてもをしき春の雪かな」
                        藤原定家




 春の雪は消えてしまうのが惜しいと、やはり誰でも思うということなのでしょうが、定家は、本意ではない別れのことを、春の淡雪にたとえています。



 やがて、消えてしまう夢のような春の淡雪ですが、束の間のすてきな光景にしばらくの間、見惚れてしまったのでした・・。

  「心にもあらぬわかれの名残りかは
             消えてもをしき春の雪かな」  藤原定家
 







2019年3月8日金曜日

読書・「日本の花」柳宗民著 ちくま新書     (雨の日に椿を見に・・・)




 先日の雨の日に、久し振りに友人に会ってランチをしてきました。
 いっしょに散歩した椿山荘では、雨に濡れて一段とあでやかになった椿を見ることができてラッキーでした。




   ところで、先日読んだ本(日本の花・柳宗民著・ちくま新書)に、椿の話しが書いてありました。

 柳さんによれば、椿(つばき)という字は、実は国字で、春に咲く木なので木偏に春で椿(つばき)と読むようになったということです。

 ちなみに「国字」とは、辞林で調べてみましたら、「日本で漢字の構成法にならって作られた文字のこと」と、書かれていました。
 


 
  漢字の椿は、中国読みでは、チンと読み、実は中国では、日本のツバキとはまったく違うチャンチン(香椿)という落葉樹のことを指すのだとか。

 ですから、柳さんは、ツバキの木がいっぱいある椿山荘は、ツバキヤマソウと読むのが正しいのではとも書かれていました。

 

 
  3月の雨に濡れている椿を見ながらの散歩でしたが、雨の日の椿も、とても魅力的でした。
  赤い椿の花言葉は、「控えめなすばらしさ」「謙虚な美徳」だとか。



     三重塔の近くの桜は、カワズザクラでしょうか、ちょうど見頃でした。





2019年3月7日木曜日

公開セミナー・新訳でプルーストを読破する第10回「失われた時を求めて10」「囚われの女Ⅰ」




 3月2日、立教大学で開催されたセミナー、「新訳でプルーストを読破する第10回」「囚われの女Ⅰ」に参加してきました。季節はもう春めいており、立教大学構内では、椿がきれいでした。
          


 
 今回、読んだのは、「失われた時を求めて10」囚われの女Ⅰ 吉川一義訳 岩波文庫でしたが、講師は、プルースト研究家の小黒昌文さんで、彼によれば、プルースト的一言は、「響きあうしるし」とのこと・・。

 この小説を読んでいると、たとえば「カモメ」や「睡蓮」などの言葉が、「響きあうしるし」になっているというのが、彼の論考でした。




 わたしも響き合うしるしを見つけてみると、「海」がありました。

 アルベルチーヌの切れ長の青い目が液体化したように見え、彼女が目を閉じるとカーテンが閉まって「海」が見えなくなるような気がした。(41p)

 アルベルチーヌの中に息づいていたのは午後の終わりの海だけではなく、ときには月夜の砂浜にまどろむ「海」でもあった。(149p)




  海はフランス語では、「ラ・メール」で女性ですから、アルベルチーヌを海にたとえるのは、ふさわしいのかもしれません。
  それにしても、アルベルチーヌの青い目を海にたとえ、彼女が目を閉じるとカーテンが閉まって海が見えなくなるような気がしたというフレーズは、すてきです!!!




 
 この巻でのわたしの好きな1ページは、419pの2行から4行でした。

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「ベルゴットは埋葬されたが、葬儀の夜、ひと晩じゅう明かりの灯った本屋のショーウインドーに、その本が翼を広げた天使のように三冊ずつ飾られて、通夜をしているのが、もはやこの世にいない人にとって復活の象徴となっているように思われた。」
   ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
      引用 失われた時を求めて10囚われの女Ⅰ プルースト作 吉川一義訳 419p

 


 ベルゴットという作家の書いた本は、彼が亡くなっても芸術作品として永遠に残るという暗示ですが、これはプルーストも自身のことを意識して書いたのだと思えてなりません・・。

 この世に自分(プルースト)が生まれてきたのは、芸術作品としての本を書く仕事を成し遂げるためと自分に言い聞かせ、あの晩年の昼夜を逆にして、音を遮断するために、コルクを貼った部屋で、苦行僧のように書き続けたのだと思ったのでした・・・。



2019年2月26日火曜日

短歌・「おほかたの枯葉は枝に残りつつ・・・」   (春の使者、マンサクの花・・)





  散歩の途中に 裸の木々をよく見ると、マンサクがもう咲いていました。去年の実の下につつましく黄色のリボンを広げていました。





    美智子皇后が作られた短歌に、マンサクを歌われたものがあります。

      おほかたの枯葉は枝に残りつつ
            今日まんさくの花ひとつ咲く





 まだ、咲き始めのこの季節のマンサクを歌われているのですが、やさしいお人柄がしのばれるようで好きな短歌です。




 マンサクという名前の由来はご存じのように、山では春に「まず咲く」という言葉がなまって「マンサク」になったという説と、もうひとつ

 黄色の花がいっぱい咲くので「豊年満作」の「マンサク」からきたという説があるようですね。わたしは「まず咲く」がなまって「まんず咲く」そして「マンサク」になったという説の方が何となく好きです。

 北国の方の春をよろこぶ気持ちが感じられるから・・。




 わたしが毎年楽しみに咲くのを待ついつもの定点観測のようなマンサクの木です。コナラの木々に紛れていました。

 今年もやってきてくれた春の使者です!!!