2020年8月9日日曜日

読書・「プルースト 読書の喜び」保苅瑞穂著 筑摩書房



 保苅さんは、プルーストの研究をなさっていた方ですが、大学での長い教職生活の後、パリに移り住まわれた2008年頃に、この本を書き始められたとのことです。

  リルケは若い頃にパリに魅せられた人間は、生涯その魔力から逃れられないと言ったそうですが、それは本当だったと保苅さんは、本の最初に書かれています。

       

   


 若いころにパリに留学なさったという保苅さんのこのようなお気持ちは、パリを何度か訪ね魅力を感じていたわたしにとっても、とても共感できる思いがしました。

 そのパリに住みながら、彼の長年の研究テーマでもあったプルーストの「失われた時を求めて」の中から、彼の読書の喜びの部分をとりあげて、書いていらっしゃるのですから、すてきな本になったのは、自明のことかもしれません。


    


 保苅さんのプルーストの「失われた時を求めて」を読む喜びが、すみずみまで感じられ、わたしも彼といっしょに、すてきな箇所の再読という楽しみをわけていただきました。

 また、保苅さんは、彼の琴線にふれたプルーストの文章を、ほかの詩人や文学者などの芸術家や、芸術家の作品、そしてプルーストの友人、知人などからの手紙などからの引用も駆使して説明なさっているのですが、それも読みごたえがありました。


     


 また、保苅さんはこんなことも言われていますので引用してみます。

【本を読むということに知的な理解が必要なことはいうまでもないことであっても、それよりもっと必要で、豊かなものはこの喜びの感情なのである。】引用12p

 わたしがプルーストから学んだのもこれと同じで、本を読むという喜びでした。最初に、プルーストの「失われた時を求めて」を、井上究一郎さんの翻訳で読み終えたときの読書の喜びは、いまでもはっきりと覚えています。

 あれからもう、20年以上もたっているのですが・・・。

 そしてそれ以後は、鈴木道彦さん、そして吉川一義さんと、違う方の翻訳でプルーストを全巻読むという喜びでした。



 この本は、プルーストの「失われた時を求めて」の名場面を読む喜びを再現してくれる大事な1冊になりました。


 

2020年7月24日金曜日

植物・ヤマユリの季節・・



 ヤマユリは重さにたえてしなやかに
            つゆぞらのなか今年も咲けり
                                あみ


 
  ヤマユリは、近畿以北の山野に咲く、日本ではもっとも大きな野草です。梅雨の今頃の夕方などに、窓を閉めようとしたときなど、庭の方から甘い香りが漂ってきて、あ~っ、ヤマユリの香りだとしあわせな気分になることがあります。




 大きな6枚の花びらは、先端で反り返り、中央には鮮やかな黄色の線、そして花びら一面に
赤褐色のドットが広がり、見事な造形です。
 わたしは、大きな花は苦手だったのですが、毎年この花を見ているうちに、すばらしいと思うようになりました。日本の野生のユリの女王かもしれませんね。




 この上の写真は、野生のイノシシにヤマユリの球根を掘られた後です。穴の中に白いヤマユリの球根が2片残っているのが見えます。球根は食用にもなるほどおいしいので、食べたのだと思います。




 この花びらは、サルがかじったのだと思います。数日前の夕方、うちの庭にもサルがきて手にはヤマユリの花のついた枝を持っているのを見ましたから・・。今日、散歩していますと、球根を掘った後やかじられた花を数件見ました。イノシシが球根を食べるようになったのは、2、3年前ぐらいからですが、サルは今年がはじめてでした。

 そういえば、サルが庭に来た翌日の散歩で、イノシシの子供が散歩道を横切ったのも見ましたから、今年は動物にあう「当たり年」のようです。ヤマユリの芳香が動物をひきつけるのでしょうか・・。野生の動物も生き残るのは大変のようです。





2020年6月30日火曜日

読書・「シェリ」コレット作・工藤庸子訳・岩波文庫




  コレットの「シェリ」は、だいぶ前に読んだ本で、本箱に入れたままでした。最近、プルーストやアンドレ・ジッドもコレットの作品を褒めていたことを知り、また読んでみました。




 読み直してみると、かなりおもしろく一気に読んでしまいました。

 50歳を迎えようとする元高級娼婦のレアと、息子ほどの年齢差のあるシェリ。
 レアはまだまだ魅力的で、シェリは若くて美男子・・。
 そんな二人の恋が描かれています。

 コレットらしく物語の設定はとてもフランス的で、恋を主題に書いているのですが、レアの心理や行動、そして会話も巧みに描いていて、最後にはレアがかっこよく二人の恋を終わらせています。




 今回気づいたのは、レアやシェリがつけている香水や、リラの花などの香りの感覚、

 そして、寝室のカーテンをバラ色に染めている光は、シェリの絹の純白のパジャマもバラ色にして、という表現などからの色彩感覚・・。
 
 などなどのコレットの感性は、とても詩的に表現されていて、見事だと思いました。




 この作品でコレットは、文学作品の作家としてフランスで認められたとのことを、訳者の工藤庸子さんの解説文で知ったのですが、見事な解説文を書かれています。
  作品と、解説文で2度楽しめた本でした。

 プルーストが褒めたのは、コレットのフランス文化ともいえる感性だったのかしらと、ふと思いました・・。
 


 

2020年6月16日火曜日

読書・「音楽の光と翳」 吉田秀和著 中公文庫



 今朝は6時前に目が覚めました。窓を開けると梅雨の晴れ間の青空が広がっていて、空気がさわやかです。カッコーの声も聞こえすばらしい6月の朝でした。

 少し朝の読書をしようと思い、最近またよく読むようになった吉田秀和さんの本を無作為に選び、開いたページを読んでみると、「菩提樹の花の香り」というエッセイでした。



 吉田さんがベルリンで奥様と一年ほど暮らされていたときに、奥様が病気で入院なさったことがあったそうです。お見舞いに毎日行かれていてその帰りのある日、駅前の広場でリンデ(菩提樹)の大木が真っ白に花開き、花の香りがあたり一面にただよっていた光景に遭遇なさったとのこと・・。



 吉田さんはここで、リンデを歌ったマーラーの歌曲をご紹介なさっています。この歌曲は、詩人リュッケルトの詩に曲をつけたもので、花の香りを歌ったものでは、これ以上の作品は知らないと、書かれています。

 この歌を聴いたことがない人はとてもしあわせだとも、書かれていましたので、そのしあわせな一人であるわたしは、早速YouTubeで検索して聴いてみました。
 クリスタ・ルードヴィヒという女性が歌っていて、吉田さんのおっしゃるように、「ただ穏やかで、繊細で純粋な」歌曲でした。

 6月のさわやかな朝に、こんな静謐な歌を聴けたのは、やはりしあわせなひとりになりました。

 ここに住むようになってから、花の香りで気がついたのは、クズの花といまが満開の、コアジサイの花です。コアジサイに香りがあるとは、昨年に知ったばかりでした。




 コアジサイは、この辺りではどこにでも咲いていて、梅雨を知らせてくれる花ですが、早速我が家の庭に咲くコアジサイをパチリと写してきました。




 むらさき色の茎に、水色の繊細な花を咲かせるコアジサイは、風が通り過ぎると、さわやかにやさしく香ったのですが、吉田さんに教えていただいたリンデの歌曲のイントロの部分、♪わたしはほのかなリンデの香をかいだ・・が聴こえてくるようでした・・・。
 

 

2020年6月13日土曜日

植物・6月の風の中で、夢見るように咲いている花・・




 散歩していると、道の両側や公園にニガナの黄色い花が、たくさん咲いているのを見かけるようになりました。ニガナは、どこでも見かける普通の花ですが、この花を見るといつもなつかしさのようなものを感じます・・。




 ニガナとは、花びらが5枚か6枚のものをいい、7枚から12枚のものは、ハナニガナといいます。

ニガナは、花が終わって実をつける頃は、こんな感じに姿を変えてしまうのですが、幾何学模様のような丹精さに、思わず見とれてしまうほどすてきです!




 ニガナという名前がついているので、たぶん苦い味がするのだろうとずっと思っていたのですが、きょうは長年の疑問を確かめてみようと思い、葉の部分を少し切りとって舐めてみました!!!

 結果はやはりかなり強い苦みを感じましたので、やはりこの名前の通りに、苦菜(にがな)でした。茎も、切り取りますとタンポポのように白い乳液のようなものが出て、少しネバネバしました。

 白い花もあり、こちらはシロバナニガナと名前が付けられていますが、白花は数が少なく、ようやく見つけた花です。




 ニガナの花言葉は、「質素」ですが、黄色よりもこの白い花の方が、よりつつましく花言葉のイメージには似合っているように感じます。

 白いシロバナニガナの花も好きなのですが、やはりニガナは、こんな風に、黄色に群れて咲いているのが、いちばん好きです。

 6月の風の中で、夢見るように咲いている光景は、すてきです・・。




 



 




2020年5月23日土曜日

植物・アメジストのかけらのようなミヤコワスレ・・




 ミヤコワスレは、大好きな花です。
 きょうの散歩は、小雨が降っていたのですが、すてきなミヤコワスレに出会うことができました!
   花びらに雨のしずくがかかり、アメジストの破片のようにきらきらと輝いて見えました。



 この花を最初に見たのは学生時代で、知人宅の小さな庭のかたすみにひっそりと濃いむらさき色の花をつけ、凛と咲いている姿は、とてもすてきでした。
 それ以来、好きになった花です。

 その時のイメージがずっと頭のすみにあったので、ピンクやうすいむらさきなどよりも濃いむらさきのミヤコワスレが好きなのかもしれません。





 うちの庭にも咲いているので、毎年この花が咲くのを楽しみにまっています。
 それにしてもミヤコワスレは、ミヤマヨメナの園芸品種なのに、ゆかしい名前ですよね。
 名前の由来はもう花好きの方はご存じだと思いますが、鎌倉時代の承久の乱で鎌倉方に敗れた順徳天皇が佐渡に流されたときに、父の後鳥羽上皇がお好きだった白い菊の花に似たミヤマヨメナをミヤコワスレと名づけて都を偲んだという話にちなんでいるとか・・。

 


 順徳天皇(上皇)は、順徳院という名前で百人一首にも出てくる歌人でもありました。都には戻ることができず佐渡で生涯を終えられたのですが、都忘れのこんな歌も残されているようです。 
 いかにして契りおきけむ白菊を都忘れと名づくるも憂し・・・順徳天皇

 ミヤコワスレの花の名前から、承久の乱という日本史や、歌人としての順徳天皇に思いをはせた雨の午後でした・・・。






2020年5月21日木曜日

読書・「言葉」J-P・サルトル 澤田直訳・解説 人文書院




 サルトルの「言葉」を最初に読んだのは、学生の頃でした。友人に勧められて読んだのですが、内容はもうすっかり忘れていました。




 サルトルがプルーストを熟読していたというのは、何かで読んで知っていたのですが、本を読み直してみると、プルーストに関する箇所を見つけました。

 それは「失われた時を求めて」の「スワンの恋」に出てくるスワンの言葉です。スワンが恋から覚めたとき、「好みでもない女のために一生を棒にふってしまった」というあのフレーズです。やはり、サルトルもこの言葉には、何か惹かれるものがあり使用したのでしょうが、サルトルのユーモアのようなものも少し感じました。




 サルトルは、プールーと呼ばれていた子供のころから、作家になるのが天職と思っていたようです。
 人生が始まった時、わたしのまわりには本があった、死ぬときも多分そうだろうと言っていますが、幼少の頃の本に囲まれた恵まれた環境は、彼の知性に限りなくプラスの影響を与えたのだろうと想像できました。本に囲まれて育ったサルトルが本を書くことになるのは、必然でもあったのかもしれません。
 



 この本は、サルトルが60歳近くになったときに幼年時代を書いた自伝ですが、彼が本を書く必然は自己救済でもあったようです。書くということを、多方面から考察しているのもおもしろく、一筋縄ではいかないやはり哲学者のサルトルらしさを感じながらの読書でした。




 フランソワーズ・サガンが、サルトルの「言葉」のことを「フランス文学全体の中でも最も才能に輝く書物」と言っていたのを思い出します。

 すべての言葉が結果をもたらす、沈黙も同様だという彼の言葉が、印象に残りました。




                        ※写真の花は、オオデマリです。