2020年10月23日金曜日

読書・「マルテの手記」リルケ著・大山定一訳・新潮文庫

 


 リルケはこの本の中で、詩についてこのように書いています。詩は感情ではなく経験である。一行の詩のためには、人生のさまざまを経験することが必要であり、その思い出のかげからぽっかりと詩が生まれてくるのだと・・。



 彼はこの本を書くのに7年もかかったということです。マルテという青年作家のパリでの生活の究極の内面を描いているのですが、マルテはリルケだったようです。

 マルテのパリでの生活の孤独と貧しさは、彼の血の中にまで溶け込むのですが、最後にはその究極のどん底の生活の中にも、何かすばらしい祝福や肯定の愛があるのを暗示して物語は、終わっています。



 プルーストは、「失われた時を求めて」の最後に、主人公が、自分のこの長い人生の経験を文学作品として書こうと決心したところで、物語は終わっています。リルケも詩人や作家として作品の一行を書くのには、このような経験が必要だったのだとこの小説の中でマルテの手記という形をとって書きたかったのかもしれません。

 リルケは、この小説を書いた以後は、小説は書いていないというのも、わかるような気がします。このような究極の物語を書いてしまったのですから・・。



 わたしがこの小説の中で、好きなところが47pにあります。

「店の中をふとのぞきこんでみると、誰か彼か人間がいて、知らん顔ですわったまま本を読んでいる。明日の心配もなければ、成功にあせる心もない。犬が機嫌よさそうにそばに寝ている。でなければ、猫が店の静かさをいっそう静かにしている。猫が書物棚にくっついて歩く。猫は尻尾の先で、本の背から著者の名まえを拭き消しているかもしれない。こういう生活もあるのだ。僕はあの店をそっくり買いたい。犬を一匹つれて、あんな店先で二十年ほど暮らしてみたい。ふと、そんな気がした。」

 リルケは、生きることのしあわせを、このようなパリでの光景に見ていたのかもしれません。



リルケがマルテに託して書いた彼の芸術家としての魂の告白は、あまりにも悲痛ですが、このような場面があることは、生きることの肯定と希望が感じられました。

 翻訳者の大山定一さんの「あとがき」の最初にこんな言葉が書いてありました。

 「なぜなら、貧しさは内部から射すうつくしい光である」

 









2020年10月3日土曜日

読書・「日本文学史」小西甚一著・講談社学術文庫

 

   小西甚一さんの著書、「日本文学史」を、読みました。本の後ろに、ドナルド・キーンさんの解説がついていて、この本との出会いのエピソードが書かれているのですが、おもしろく読みました。



 ドナルド・キーンさんが京都に住んでいらしたとき、東京までの列車の中で何か読もうと思い、駅の本屋さんで何気なく購入なさったのが、この本との出会いだったとのことです。キーンさんは読んでみてすっかり感銘なさり、その後小西先生の自宅までも訪ねられることになったということでした。



 キーンさんは、この日本文学史は学問的でありながら小西さんの新鮮な見解がちりばめられているといわれているのですが、わたしもそう思います。読者としてもやはり、学問的であることはもちろんですが、著者の個人的な新鮮な見解を読みたいからです。




   小西さんは、この本で 「連歌の美は、花や鳥の美しさでなく、花らしさや鳥らしさの美しさなのである。」と言われていることや、日本文学を「雅」と「俗」にわけて分析なさっていることなども、新鮮な見解だと思いました。



  また、文学史にもかかわらず、道元の「正法眼蔵」をとりあげられていて、宗教的内容はともかくとしても、道元が自分の言葉で独創的に表現しているということを、価値あることとして高く評価なさっているのも、うれしく思い、印象に残りました。

 道元の弟子が書いた「正法眼蔵随聞記」は、わたしの愛読書なのですが、難解といわれる「正法眼蔵」にも興味を持ちました。


 キーンさんは解説で「文学の中心へ導く書」と、タイトルに書かれているのですが、日本文学とは何かを考えさせてくれる本でした。


 


2020年9月20日日曜日

自然・超かわいい森のきのこたち・・

 


 9月に入り、散歩道には、きのこがあちこちに顔を出し始めました。

 今年の夏は、雨が多く湿度も高かったので、きのこたちも大喜び。

              


  これは、タマゴタケという名前のきのこですが、

  一列に並んでいるとまるで、白雪姫に出てくるこびとのよう。


 

1・ タマゴタケは、森の中でまず最初に、こんな感じにおずおずと顔をだします。


2・次に赤い帽子をこっそりとのぞかせて・・。



3・ぴょんと背伸び



4・帽子を広げると雨傘のダンスのよう。



 

 今年もきのこたち、出てきてくれてありがとう。

 来年も待っていますね。See you again !!! 





2020年9月17日木曜日

読書・「アポリネール詩集」窪田般彌訳 ほるぷ出版 (アポリネールの猫の詩・・・)

 

 わたしが持っている本の中でいちばん美しい装丁の本は、「アポリネール詩集」です。アポリネールの詩は、窪田般彌訳、出版社は、ほるぷ出版。古本市に行ったときに、あまりにも美しいので一目で気にいってしまい買った本でした。



 この本は、ピエール・カルダンの装幀・装画で、動物詩集には、R・デュフィの挿画が入っている豪華版です。アポリネールといえば、「ミラボー橋の下をセーヌが流れる・・」ではじまる詩「ミラボー橋」があまりにも有名ですが、わたしは、動物詩集の中の「猫」が、大好きです。

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「猫」
             アポリネール     (窪田般彌訳)

僕は家に持ちたい、

分別のある女房一人と、

書物のあいだを通り抜ける子猫一匹、

それに、彼らなしには生きていけない

いつもそばにいてくれる友達数人。

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                引用 アポリネール詩集 83p
                    窪田般彌訳 ほるぷ出版


              R・デュフィの挿絵「猫」

 アポリネールは、1880年にローマで生まれていますが、母はポーランドの亡命貴族で父はモナコの司教だったそうです。19歳で母といっしょにパリで生活するようになったのですが、生活は苦しくそんな中で、詩をかき、友人を作り恋をしたようです。

 彼はフランスを愛する気持ちから帰化し、戦争(第一次世界大戦)に行くのですが、戦傷を受けて戻り、重い傷が癒えてから再び詩を作って活動していました。

 そんな中、1918年にジャクリーヌと結婚したのですが、その後わずか7か月後の11月に、スペイン風邪で亡くなってしまいました。



 この猫の詩は、分別のある妻と、書物の間を通りぬける子猫一匹、それに彼らなしには生きていけないような友達数人・・・・・それらを家に持ちたい!とうたっているだけなのですが、詩人の気持ちが、なぜかよくわかります。そして、子猫が書物の間を通り抜けるシーンまでが目に浮かんできて、読むたびにいつもキュンと感じてしまうのです。

 アポリネールのささやかでしあわせな人生観で満ち満ちているような詩で、わたしは、大好きです。




2020年9月13日日曜日

植物・妖精の帽子のようなかわいい花 「ツルニンジン」

 


 先週、公園を散歩していた時に、今年も妖精の帽子のようなかわいい花を見つけました。ツルニンジン(ジイソブ)です。いつも9月のはじめ頃に咲くので楽しみに待っている花です。



 ツルニンジンは、つるが長いもので2メートルもあるそうですが、これは1メートルぐらいでした。

 昨年の暮れに公園の木を伐採して置いてあった枯れ枝に、つるが伸びてからまっていました。3か所でこの花を見ましたので、来年もこの場所で咲いてくれますようにと願っています。



 ツルニンジンの別名は、ジイソブというのですが、お爺さんのソバカスという意味だとか。かわいそうなネーミングですので、別名は、「妖精の帽子」こんな名前のほうが似合っていると思うのですが・・。

 花が終わると、ポロリと帽子がぬげ落ちてこんなおしゃれなブローチのような形に変身するのも、すてきです!!!




2020年8月31日月曜日

読書・「プルーストの浜辺「失われた時を求めて」再読」海野弘著・柏書房 


 

 ここ数日、猛暑の日が続いていたのですが、きょうは少し涼しくなり、木陰で読書しました。

 プルーストの「失われた時を求めて」に出てくる主人公も、休暇先のコンブレーの叔母の家の庭の木陰で読書した日々のことを、なつかしく回想するシーンが出てくるのを思い出します。

 


 海野弘さんが書かれた「プルーストの浜辺」を、読み終えました。副題は、「「失われた時を求めて」再読」ですが、彼の本を読むのは、20年前ぐらいに出版された「プルーストの部屋」上・下を読んで以来です。

 最初に読んだ「プルーストの部屋」上・下は、わたしがプルーストの「失われた時を求めて」を初めて井上究一郎さんの訳で全巻読んだときに、いっしょに読んでいたとても懐かしい本なのです。

「プルーストの部屋」は、海野さんの専門分野でもあるアール・ヌーヴォーの世界からのプルーストへのアプローチだったように覚えているのですが、この本「プルーストの浜辺」は、ノルマンディの浜辺からのプルーストへのアプローチなのでした。




 海野さんは、ノルマンディが舞台になった小説として、フローベールの「ボヴァリー夫人」やモーパッサンの「女の一生」を挙げ、それらがプルーストの作品「失われた時を求めて」へと、連なっていることが見えてきたと、書かれていますが、おもしろい視点だと思いました。

 わたしは、ノルマンディにあるエトルタに、結婚式に招かれて行ったことがあるのですが、あの辺りに住む人々やマルシェの様子、そして、エトルタに残されているモーパッサンの住んでいた家も訪ねたのですが、室内にあった彼の机などからは、あの時代の雰囲気や空気感も感じることができたのを思い出します・・。



 「失われた時を求めて」の中で、主人公はノルマンディの架空の町バルベックの浜辺でアルベルチーヌに初めて会うのでしたから、アルベルチーヌは、海野さんのお考えのように、海の浜辺のイメージを背負っているともいえるのかもしれません。

 それにしても、海野さんの書かれた「プルーストの部屋」を20年前に読み、今度は20年後に「プルーストの浜辺」をこの「コロナの夏」に読んだというのは、わたしのプルーストをめぐる年月の読書のおもしろいめぐりあわせだと感じたのでした・・。



  海野さんは「プルーストの部屋」を、書かれてから20年後に、この「プルーストの浜辺」という本を、上梓なさったのですが、わたしのプルーストをめぐる読書の旅も、まだまだ続きそうです・・。


2020年8月27日木曜日

映画・「ひまわり」ソフィア・ローレンの思い出・・・

 


 先日、「道の駅 明治の森・黒磯」に寄ってひまわりを、見てきました。 ここのひまわりは、道の駅に隣接する旧青木周蔵子爵邸の広い庭に植えられていて、雰囲気のあるひまわり畑になっています。



 たくさんのひまわりを見ていると、「ひまわり」というソフィア・ローレン出演の映画を思い出しました。

 古い映画ですが、戦争によって別々の人生を生きていくことになったイタリア人の男女の哀しい愛が、ヘンリー・マンシーニの哀愁のある音楽とともに、切なく語られていました。

 その映画の忘れられないシーンとして、主人公が車窓から見るロシアの広大なひまわり畑が出てくるのです。



 そのひまわり畑の下には、戦争で犠牲になったたくさんの兵士が眠っているとのこと。ロシアの国花もカミツレ(カモミール)とひまわりです。。

 そういえばむかし、主人公を演じたソフィア・ローレンにお会いしたことがありました。ロンドンのセルフリッジというデパートで、彼女の料理本のサイン会をしていらっしゃったのです。

 テーブルを前に、鮮やかなブルーのシンプルなブラース姿で、椅子にかけていらっしゃるお姿は、存在感があり、やはりすてきでした。そしてあのひまわりのような大きな瞳も忘れられません・・。

 



 そのときのソフィア・ローレンの書いた料理本のレシピで覚えているのが、ひとつだけあるのですが、それは、きゅうりとカニのサラダでした。

 ヨーロッパのきゅうりは、太くて大きいので、まず、たて半分に切り、中の種の部分をスプーンでくりぬきます。そこに、カニをマヨネーズであえたものをつめ冷やして皿にならべるだけという簡単な料理ですが、シンプルですが、おいしそう!

 彼女の料理好きという意外な一面も知り、それ以後、彼女のファンになったのですが、ひまわりの映画の場面で、車窓から見える一面のひまわり畑のシーンは、いまも目に浮かんできます。

 それからあのソフィア・ローレンの、ひまわりのような瞳も・・・。