2021年2月11日木曜日

読書・バベットの晩餐会・イサク・ディーネセン・桝田啓介訳・ちくま文庫



  これは、昨年の秋に咲いていたノハラアザミのドライフラワーです。雪をバックにすると羽毛のようになった花が、ふわふわでおしゃれです。


       


「バベットの晩餐会」は、映画を観てから原作に興味を持ち、読んでみた本です。映画は2度観たのですが、清楚で静謐な雰囲気に満ちていて、心地よい余韻が残るすてきな映画でした。

 作者はデンマーク人のカレン・ブリクセンで、イサク・ディーネセンは、英語で出版する時の筆名とのことですので、以下カレン・ブリクセンと書かせていただきます。

 カレン・ブリクセンは、「アフリカの日々」という本も書いていますが、この本も「愛と哀しみの果て」という題名で映画化されている自叙伝のような物語です。この映画も数回観ていますが、アフリカの自然や動物たちが記憶に残る、美しい物語でした。

 この映画は、カレンが結婚してアフリカでコーヒー農園を経営していたときの話ですが、映画の中に、千夜一夜物語のように彼女がお客に、一晩中、物語を話し聞かせるという場面が出てきます。多分その頃からカレンは、物語を作って話すのが上手だったのだと思います。

 カレンが本を書き始めたのは、農園経営に失敗してアフリカから帰国した48歳頃ということですから、作家としては、遅いデビューかもしれません。



 「バベットの晩餐会」の解説で田中優子さんは、これは小説ではなく物語だと書かれていますが、わたしもそう思います。ストーリーが巧みで、千夜一夜物語のように、興味深く物語が進んでいきます。

 物語の舞台は、ノルウェイのフィヨルドの山麓にある小さな町、ベアレヴォー。その町の黄色の家に住む中年の心優しい姉妹、マチーヌとフィリパ、そしてその家の家政婦のベネットのお話です。

 姉妹の父はその地区の信者たちの監督牧師だったのですが、彼の死後は、姉妹がその役を引き受けているのでした。



 この姉妹は若い頃、たぐいまれな美人だったそうで、そんな二人には、むかし、ロマンスがありました。

 姉のマチーヌには、ロレンス・レーヴェンイェルムという青年将校が熱烈に恋をし、声も美しい妹のフィリパには、パリからきたフランス人の名歌手アシーユ・パパンが恋をしたのでした。

 このパパンが、パリコミューンで夫と息子を亡くしたバベットを、姉妹の家に家政婦としておいてくれるようにと紹介したのです。

 バベットもそこでの生活に慣れ、14年が過ぎたころ、彼女は、フランスの富くじの一万フランをあてるのです。



 姉妹は父の監督牧師生誕百年の記念日の祝宴を開きたいと、バベットに告げますと、彼女はたったひとつの願いとして、祝宴の晩餐会の食事を任せてほしいといい、準備のために2週間の暇をとります。

 バベットが食材の大きな海亀などの荷物を用意して戻った時、それを見た姉妹はなぜか不安になり悪夢まで見てしまい、この晩餐会での食事のことは一切話さないようにと、教区の招待者に懇願するのです。

 姉妹は、教区の人たちのほかに、ロレンスの伯母にも晩餐会の招待状を出すのですが、伯母の家には、ちょうどあの青年将校だったロレンスが将軍になり滞在しており、いっしょに晩餐会に来ることになります。


 

 

 12人がテーブルにつき、晩餐会が始まります。ディナーでまず最初に出されたワインを一口飲んだ時、将軍はすぐにこれは、「アモンティラード」ではと気づきます。しかも「極上の」・・・・・

 スープは本物の海亀のスープ?!

     何とこれはブリニのデミドフ風!!!

        シャンペンは、1860年もののクリコ!

             「うずらの石棺風パイ詰め」!!!

 そしてこのうづらの石棺風パイ詰めを食べたときに、将軍はこれはむかしパリの極上のレストラン・カフェ・アングレで食べた料理長の料理と同じだと思い当たるのです。

 すばらしい食事と飲み物に、テーブルの人たちは最近のささいないさかいも忘れ、なごやかで平和な気分になるのでした。将軍はむかし青年将校だったころに監督牧師に聞いた話のスピーチをします。

 「慈悲と真実は共に会う。正義と幸福はお互いに口づけをする。・・・」と。

  


 帰るときに玄関で、将軍はマチーヌに、「生きている限りいつもあなたのそばにいる。」と、永遠の愛の告白をするのですが、このセリフや、「この美しい世界ではすべてが可能なのだ」という言葉もすてきだと思いました。

 ゲストが帰った後、姉妹は、すばらしいディナーを料理してくれたバベットに感謝の言葉を述べます。

 その時に、当然パリに帰ってしまうのではと思っていたバベットが、自分は昔、パリのカフェ・アングレの料理長をしており、富くじで当たった一万フランは、このディナーのために全部、使ってしまったと告白するのです・・・。

 姉妹はわたしたちのために全部、使ってしまうことはなかったのにというと、バベットは凛として、それは自分のためであり、「わたしはすぐれた芸術家なのだ」と答えるのでした。



 この言葉は、バベットの芸術家としての料理人の矜持で、それを誇りとしてこれからも、ずっとこの村で生きていくのだという宣言だったのだと思いました・・。

 








 

 


 


 

2021年1月17日日曜日

読書・「美しい日本の私」川端康成・サイデンステッカー英訳・講談社現代新書

 


 1月15日は、小正月、

             今年も手作りのまゆ玉を出して飾ってみました・・。




 川端康成さんの書かれた「美しい日本の私」を、久しぶりに再読。
 この本は、川端康成さんのノーベル賞受賞記念講演のときの全文と、サイデンステッカーさんの英訳が、後半についています。

 川端さんは冒頭で、日本の美の伝統を、道元の和歌から、「雪・月・花」にたとえて紹介なさっています。

 「春は花夏ほととぎす秋は月
            冬雪さえて冷(すず)しかりけり」     道元
 
              "In the spring, cherry blossoms,
               in the summer the cuckoo.
               In autumn the moon, and in
               winter the snow, clear, cold."

 そして、「雪・月・花」という四季の移り変わりを現す言葉は、日本においては自然のすべて、人間の感情をも含めての美を現すのが伝統であると語られています。




 
 川端さんは、後半にご自分の文学に近い感性を持っている歌人として永福門院の歌を紹介なさっているのですが、こういう感覚を愛していらしたのだと、納得でした。

 「真萩(まはぎ)散る庭の秋風身にしみて
                  夕日の影ぞ壁に消えゆく」

         "The hagi falls, the autumn
                             wind is piercing.
                            Upon the wall, the evening sun
                             disappears."

 川端さんは、この歌のことを、「日本の繊細な哀愁の象徴で、わたしにより多く近いと感じられます。」と、語られています。

 永福門院の歌は、以前に竹西寛子さんが書かれた「式子内親王 永福門院」という本を読んで以来好きでしたので、川端さんが永福門院の歌の世界は、ご自分の感性により近いと語られていたのは、うれしく思いました。




わたしが、彼の言葉で一番こころに残ったのは、
 「白」という色は、すべてを含む色だということ、
        そして
 一輪の花は、百輪の花よりも花やかさを思わせるというところでした。



川端さんの言われる「美しい日本の私」とは、

一輪のつゆを含んだ白い花、それもまだつぼみ・・・・だったのかもしれません。




2020年12月18日金曜日

読書・「ペスト」カミュ著・宮崎嶺雄訳・新潮文庫

 


 冬晴れの日の白河・南湖公園のメタセコイアです。すっかり葉を落とした木々が、空に向かってスックと立っている姿は、ほれぼれとするほど見事でした。 



 「ペスト」は、以前に読んだ本ですが、本箱にあったものを見つけ、コロナ禍のいま、再読してみました。

 最初の数ページで、なぜか文体に惹かれました。翻訳者の宮崎さんは、解説でこの文体のことを、誠実で清潔な文体といわれています。そしてさらにその簡潔な文体のかげには、感動の美しさがひっそりと息づいているとも述べられているのですが、わたしが文体に惹かれた理由はそういうことだったのかと、納得できました。



 物語は、アルジェリアのオラン市で4月16日の朝、主人公の医師ベルナール・リウーが階段口で死んだネズミにつまずいたところから、始まります。ペストは次第に猛威をふるい街は閉鎖されるのですが、死者の数が毎日何人と発表されるところなどは、今回のコロナ禍のなか、実感を伴って感じられました。

 リウーは献身的にペスト患者をみるのですが、そんなある日、リウが友人のタルーといっしょに海で泳ぐシーンがあります。ペスト禍のなか、二人はしばしの心の安らぎと幸福感を共感するのですが、ここはほっとする好きな場面でした。



 そしてついに2月のある晴れた朝の明け方、市の門は開けられ、人々はペストという不条理から解放されるのでした。ペスト禍という不条理な出来事のなか、人々はどう過ごしたか、そしてそれが過ぎ去ったあと、何が残ったのかを語るため、物語の最後にこの本の作者は、リウだとあかすのでした。

 リウはもちろんカミュで、彼がペストという天災の最中に教えられたことは、人間の中には軽蔑すべきものよりも、賛美するもののほうが多いということ。そして、ただそれだけをこの物語で書きたかったのだと、カミュはリウの言葉を借りて語っています。

 日本でも、東日本大震災という天災のときに、人々のやさしさと善意がいっぱいあったことは、わたしのこころにもいまでもしっかりと、残っています。

  今回の世界的なコロナ禍のあと、人々のこころには、何が残るのでしょうか・・・。考えさせられる本でした・・。

 カミュは、1957年に44歳という若さでノーベル文学賞を受賞し、1960年に自動車事故で47歳で亡くなっています。

 


2020年11月30日月曜日

読書「クリスマスの思い出」トルーマン・カポーティ著・村上春樹訳/山本容子銅版画



 カポーティの「クリスマスの思い出」は、この季節になると、いつも繰り返して読んでいる大好きな本です。



 村上春樹さんの訳も簡潔で好ましく、山本容子さんの味わいのある銅版画も、チャーミングです。本の表帯には、「イノセント・ストーリー」そして、後ろには、「遠い日、僕たちは幼く、弱く、そして悪意というものを知らなかった。」と、書いてあります。



 主人公のバディーは7歳の少年の僕、そして子供のようなこころを持った60歳過ぎの女性(スックという名前ですが、この本には彼女とだけ書いてあります。)、それに犬のクイニー(オレンジと白の混ざったラット・テリア)が出てきます。

 11月も終わりになる頃、彼らは、フルーツケーキを30も焼き、クリスマスツリーの木を伐りだしてきて、ツリーを紙の手製のデコレーションで飾り、プレゼントの凧を密かに作って交換し、クリスマスを楽しむのでした。

 


 バディの貧しいけれども愛につつまれて暮らしていた無垢な少年の頃のお話ですが、バディはカポーティでもあったのだと思います。大人になったカポーティのこころの中に、いまでもあたたかく残っているかけがえのないクリスマスの思い出なのですね。




 きょうは、この本の英語の原文をネットで見つけて読んでみたのですがとても読みやすく 、アメリカでは教科書にもとりあげられているというのが、納得できました。カポーティも聴衆の前でこの本を読むのが、好きだったということです。




 カポーティの「クリスマスの思い出」は、やはり何度でも繰り返して読んでしまうチャーミングで大好きなお話でした・・・・。




2020年11月22日日曜日

音楽・わたしの好きなCD「ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス」



 きょうは、朝から、「ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス」のCDを、一日中聴いていました。

 カラスの声はもともとは、メゾ・ソプラノだったそうですが、超人的努力でハイ・ソプラノまでの音域や、コロラトゥーラの技巧を獲得したとCDの解説に書いてありました。聞いているとぞくぞくとしてしまうような、あのハイ・ソプラノの軽妙な歌い方には、しびれてしまうのですが、その陰には、やはりすさまじい努力があったのだと理解できました。



 そういえば、日本文学者の故ドナルド・キーンさんもカラスのファンでした。「マリア・カラスを偲ぶ」というエッセイを書かれています。彼は1952年に初めてロンドンのコベントガーデン歌劇場でカラスの「ノルマ」をご覧になられたとのことです。その頃のカラスは、太めのからだつきだったそうですが、歌い始めると声が苦もなく流れでて、下降するときの高音はぞくぞくするほどだったとのこと・・。それ以後、すっかりカラスのファンになられたようです。

 その4年後の1956年にニューヨークのMET(メトロポリタン歌劇場)で、またカラスの「ノルマ」をご覧になられたキーンさんは、このような興味深い感想を書かれています。



 METでのカラスは以前の彼女と違い、ダイエットでほっそりとやせて美しくなり、演技にも優雅さが満ち溢れていたそうです。そして高音域の音程を外すことがあっても、そのことが観客の次への期待への効果をあげ、さらに舞台の劇的緊張を盛り上げていたとのこと・・。

 それは、世阿弥の「花至道」によれば、芸の達人は、自らの芸を完成させた後に、観客に完璧さの「慣れと退屈」を感じさせないために、意識的に下手な技を取り込むこともあるということと同じではないかと、キーンさんは持論を書かれているのですが、納得でした。



 キーンさんは、カラスのコロラトゥーラと、リリック・ソプラノのための曲を選りすぐったアリア集だけは是非聴いてほしいと、書かれているのですが、このCDでもわたしは十分、堪能できました。

 このアルバムの中では、歌劇「ノルマ」の「清らかな女神よ」が、好きです。




 カラスは「ノルマ」を、1948年にフィレンツェで歌って以来、1965年のパリ・オペラ座での公演まで最高の当たり役として、90回も演じているとのことですが、もう伝説のオペラ歌手になってしまったのかもしれませんね・・・。

 カラスの歌声に聞き惚れてしまった秋の一日でした・・・。




2020年10月23日金曜日

読書・「マルテの手記」リルケ著・大山定一訳・新潮文庫

 


 リルケはこの本の中で、詩についてこのように書いています。詩は感情ではなく経験である。一行の詩のためには、人生のさまざまを経験することが必要であり、その思い出のかげからぽっかりと詩が生まれてくるのだと・・。



 彼はこの本を書くのに7年もかかったということです。マルテという青年作家のパリでの生活の究極の内面を描いているのですが、マルテはリルケだったようです。

 マルテのパリでの生活の孤独と貧しさは、彼の血の中にまで溶け込むのですが、最後にはその究極のどん底の生活の中にも、何かすばらしい祝福や肯定の愛があるのを暗示して物語は、終わっています。



 プルーストは、「失われた時を求めて」の最後に、主人公が、自分のこの長い人生の経験を文学作品として書こうと決心したところで、物語は終わっています。リルケも詩人や作家として作品の一行を書くのには、このような経験が必要だったのだとこの小説の中でマルテの手記という形をとって書きたかったのかもしれません。

 リルケは、この小説を書いた以後は、小説は書いていないというのも、わかるような気がします。このような究極の物語を書いてしまったのですから・・。



 わたしがこの小説の中で、好きなところが47pにあります。

「店の中をふとのぞきこんでみると、誰か彼か人間がいて、知らん顔ですわったまま本を読んでいる。明日の心配もなければ、成功にあせる心もない。犬が機嫌よさそうにそばに寝ている。でなければ、猫が店の静かさをいっそう静かにしている。猫が書物棚にくっついて歩く。猫は尻尾の先で、本の背から著者の名まえを拭き消しているかもしれない。こういう生活もあるのだ。僕はあの店をそっくり買いたい。犬を一匹つれて、あんな店先で二十年ほど暮らしてみたい。ふと、そんな気がした。」

 リルケは、生きることのしあわせを、このようなパリでの光景に見ていたのかもしれません。



リルケがマルテに託して書いた彼の芸術家としての魂の告白は、あまりにも悲痛ですが、このような場面があることは、生きることの肯定と希望が感じられました。

 翻訳者の大山定一さんの「あとがき」の最初にこんな言葉が書いてありました。

 「なぜなら、貧しさは内部から射すうつくしい光である」

 









2020年10月3日土曜日

読書・「日本文学史」小西甚一著・講談社学術文庫

 

   小西甚一さんの著書、「日本文学史」を、読みました。本の後ろに、ドナルド・キーンさんの解説がついていて、この本との出会いのエピソードが書かれているのですが、おもしろく読みました。



 ドナルド・キーンさんが京都に住んでいらしたとき、東京までの列車の中で何か読もうと思い、駅の本屋さんで何気なく購入なさったのが、この本との出会いだったとのことです。キーンさんは読んでみてすっかり感銘なさり、その後小西先生の自宅までも訪ねられることになったということでした。



 キーンさんは、この日本文学史は学問的でありながら小西さんの新鮮な見解がちりばめられているといわれているのですが、わたしもそう思います。読者としてもやはり、学問的であることはもちろんですが、著者の個人的な新鮮な見解を読みたいからです。




   小西さんは、この本で 「連歌の美は、花や鳥の美しさでなく、花らしさや鳥らしさの美しさなのである。」と言われていることや、日本文学を「雅」と「俗」にわけて分析なさっていることなども、新鮮な見解だと思いました。



  また、文学史にもかかわらず、道元の「正法眼蔵」をとりあげられていて、宗教的内容はともかくとしても、道元が自分の言葉で独創的に表現しているということを、価値あることとして高く評価なさっているのも、うれしく思い、印象に残りました。

 道元の弟子が書いた「正法眼蔵随聞記」は、わたしの愛読書なのですが、難解といわれる「正法眼蔵」にも興味を持ちました。


 キーンさんは解説で「文学の中心へ導く書」と、タイトルに書かれているのですが、日本文学とは何かを考えさせてくれる本でした。