2016年3月7日月曜日

ゼフィレッリ演出のオペラ「トゥーランドット」



 ゼフィレッリ演出のオペラ「トゥーランドット」を、東京銀座東劇で
観てきました。

  今回の催しは 「スクリーンで楽しむオペラ講座」ということで、
あのMET(ニューヨークのメトロポリタン歌劇場)でのオペラが
ライヴビューイングでき、しかもゼフィレッリの演出ということで、
とても楽しみでした。



 
 ゼフィレッリの演出は期待を裏切らず、豪華絢爛の見事な舞台で
さすがルキーノ・ヴィスコンティに鍛えられた弟子だと思わされました。

 舞台は暗いのですが、講師の村田直樹さんによれば暗いは美しい
のだそうで、動く絵画のようでした。

 舞台装置、衣装にも時代考証と細部へのこだわりが感じられ、
こんなに豪華絢爛のオペラの舞台は、初めて観ました。

 中国のお姫様トゥーランドットを演じたニーナ・ステンメは
歌唱力・演技力ともに抜群で、堂々として見事でした。




 有名な旋律「誰も寝てはならぬ」を歌ったのは、マルコ・ベルティでした。

 これからは、
           ♪ネッサンドルマ~(誰も寝てはならぬ」

を聞く度に、東劇で観たMETライブビューイングを、思い出すことに
なりそうです。





























 

2016年2月27日土曜日

読書・「源氏物語」の中の雛遊び(ひいなあそび)    (それぞれ4人の訳・・・)




 もうすぐ、ひな祭りです。

 ひな祭りに飾る雛人形の原型は、平安時代の貴族の子供の雛遊び(ひいなあそび)から来ているともいわれていますが、源氏物語にも雛遊びが出てきます。

 それは、若紫のところで、後の紫の上の幼いころの遊びとして書かれています。






 源氏物語を訳された4人の方の本を持っていますので、雛遊びのところを、比べてみたのですが、それぞれ個性が出ていておもしろく読みました・・。



☆與謝野晶子訳・角川文庫159p
「それからは人形遊びをしても絵をかいても源氏の君というのをこしらえて、それにはきれいな着物を着せて大事がった。」





☆谷崎潤一郎訳・中央公論社169p
「雛遊び(ひいなあそび)にも、絵をお画きになるのにも、「これが源氏の君よ」と言ってお作りなされて、綺麗な衣(きぬ)を着せて、かしずいていらっしゃるのでした。」






☆瀬戸内寂聴訳・講談社227p~228p
「それからは人形遊びにもお絵描きにも、これは源氏の君よときめられて、きれいな着物を着せ、大切にしていらっしゃいます。」






☆円地文子訳・新潮文庫229p
「雛遊び(ひいなあそび)をなさる時も、絵をお描きになる時にも、源氏の君というのを必ずお作りになって、綺麗な着物を着せ、大切にしていらっしゃるのであった。」




 4人の訳を比べてみますと、一目瞭然に違いがわかります。

 ☆與謝野晶子訳は、敬語なしの現代的なさっぱりとした文。

 ☆谷崎訳は、流れるような流麗な文。

 ☆瀬戸内寂聴訳は、彼女の肉声が聞こえてきそうな分かりやすく簡潔な文。

 ☆円地文子訳は、節度があり品格の感じられる文でした。




 それにしても紫の上の雛あそびとは、どんなものだったのでしょうか。
 当時は高価だった紙で作ったのではともいわれているようですが・・。




 もうすぐ、ひな祭りですが、源氏物語に出てくる紫の上の雛遊びを4人の訳から想像して見るのも、楽しいことでした・・。







2016年2月23日火曜日

歳時記・「 2月22日は、猫の日・・」      (ほれぼれするような猫のポートレイト・・)




 2月22日は、猫の日でした。

 2・2・2と並ぶ数字が、にゃん、にゃん、にゃん、の意味だとか・・。
 
 この写真は、以前に、東京の神楽坂で写した猫ですが、あまりにもかっこいい姿で、ほれぼれするような猫でした!

 


  夏目漱石の「吾輩は猫である」に出てくる猫は、あまりにも有名ですが、このモデルになった猫が天国にいったとき、漱石は親しい人に死亡通知を出して、墓を作って桜の木の下にうめてあげたということです。

 墓標の裏に、「この下に稲妻起る宵あらん」という句を書いたとか・・。

 早稲田の漱石の旧居跡を訪ねたとき、鏡子夫人が、猫の13回忌のころ建てたという猫や犬のヘクトーなどのペットの慰霊の九重の石塔があったのを思い出します。

 九重の石塔は、少し傷んでいたのですが、漱石ご夫妻のペットへの愛情が感じられたのでした・・。

 
 漱石は、また、こんな猫の俳句も残しています。

「恋猫の眼(まなこ)ばかりに痩せにけり」 漱石

 漱石も猫を飼っていたので、このような猫の姿を幾度か見たのだと思いますが、日本に「猫の日」ができたのを知ったら、漱石はどんな俳句を残したのかしらと、ふと思ってしまった猫の日でした・・。

 

 
 

 












2016年2月21日日曜日

きょうの一枚・「雪解雫(ゆきげしずく)の雫・・・」    (落ちる瞬間に感じる春・・・)




 きょうの散歩のときに写した一枚です。

 


 お昼前に散歩したのですが、まだまだ風も冷たく、午後からはちらほらと雪も舞っている寒い一日でした。

  道の両側には、まだ少し雪が残っていて、その雪が道路の側溝に落ちる辺りから、雪解けの雫がしたたっていました。

 丸い雫は、ガラスのピアスのようでかわいらしく、思わず道路に身をかがめて魅入ってしまったのでした。

 家の軒や、木々の雪解のしたたりを「雪解雫」(ゆきげしずく)というそうで、美しい言葉だなあと、思います。

この雫の一滴に、春を感じたのでした・・。



   

2016年2月17日水曜日

食・フキノトウのお味噌汁




 2月は、まだまだ寒いのですが、この季節にフキノトウを見つけるのは、小さなサプライズです。




 うすみどりの花びらのような苞(ほう)は、中の花芽をやさしく包んでいます。

 フキノトウは、雌雄があるのですが、このフキノトウは、どちらなのでしょう?

 たしか、雄花だったら、黄色の花が咲き、
     雌花だったら白い花・・・。


 毎年、毎年、決まった時期になると出てくれるフキノトウ

 フキノトウは、わたしに春を告げてくれる自然界からのすてきなプレゼントのように思えてきます・・・。




  ところで、先日、TVで脚本家の倉本聰さんの「100年インタビュー」を見たのですが、フキノトウのお話しをなさっていました。

 倉本さんは、おいしい食べ物には興味がなく、疎開先で食べたご飯とフキノトウが入ったお味噌汁が人生の中でもいちばんおいしいと思っているとのこと。

 疎開先で食べたあたたかいご飯とほろ苦いフキノトウの入ったお味噌汁・・・

 どんなにか、おいしかったことだろうなあと、想像します。

 



 倉本さんが「後世に残したい言葉」は、「こんな世の中にしてごめんなさい」ということで、「ごめんなさい」という言葉だそうです。

 フキノトウのように、ほろ苦い、でも、含蓄のある倉本さんのお話しでした。


2016年2月15日月曜日

旅・松島への小さな旅・・・



 松島へ1泊の小さな旅をしてきました。




 松島の遊覧船の出る船着き場のあたりの風景ですが、まるで墨絵のような風景でした。(東日本大震災のときには、このあたりも被害を受けたと思うのですが・・)

 奥の細道を書いた芭蕉も、松島を訪ねているのですが、句は残してなく、同行した曽良のみ、こんな句を残しています。

      松島や鶴に身を借れほととぎす
                      曽良

 松島は、こんなに美しいので、ホトトギスよあなたも鶴に姿を変えた方がこの景色に似合っていいかもしれませんね、というような意味の句だと思います・・。

 宿泊したホテルは、2度目でしたが、2011年の東日本大震災以後、はじめての宿泊でした。津波の被害もほとんどなかったようで、ほんとうに良かったなあと思いました。

 食事も牡蠣など旬のものをとり入れた料理でおいしく、スタッフの方々もホスピタリティーに溢れていて、気持ちよく滞在できたのでした。




 翌日は、まだ雪の残る瑞巌寺を訪ねたのですが、参道入口のところにある杉並木が、津波で被害を受け、伐採されてたのが、痛々しく感じました。

 瑞巌寺の庫裡から、雪の残る中庭を見たところですが、禅寺の空気は、凛としていて、すてきでした。


         
 

 瑞巌寺を再建した伊達政宗の正室・愛姫の墓堂の扉に描かれた金色の葡萄と鉄線の花の絵ですが、ブルーが印象的でした。



 
 ところで、伊達政宗は、食通で料理が趣味だったこともあり、仙台名物のずんだ餅は彼の考案だったという説もあるとか。

 実は、わたしもずんだ餅は大好きで、仙台に行くといつも食べるのですが、今回はそれにソフトクリームをコラボしたものを食べたのですが、もちろんおいしかったです。




 今回の旅のサプライズは、帰りの新幹線で、出会った女性でした。わたしたちの前にとつぜんあらわれ、短い時間でしたが、楽しい会話をしたのでした。

 彼女はこれからハンガリーに仕事で出かけるということでしたが、「また、宇宙のどこかでお会いしましょう」と言って別れたのですが、グリーンの石のピアスがよく似合うすてきな女性でした!!!

 松島への1泊の小さな旅でしたが、東日本大震災の後の観光地の復興した様子や、旅先での人との出会いのぬくもりと、サプライズなどがあった、楽しい旅になったのでした・・。



2016年2月5日金曜日

読書・「古事記」と、白洲正子さんの「古典の細道」     (白鳥伝説・・・)



 きょうは、あたたかい一日でしたが、いつもの散歩道では、こんなすてきな光景が広がっていました・・。
 



 真っ白な雪の野、冬晴れのパウダーブルーの空に浮かんでいるふわふわの白い雲。
 こんな景色を見ていると、思わず深呼吸してしまいます。

 いま、古事記を読んでいるのですが、白鳥伝説のことを思い浮かべながらの、散歩でした。

 「白鳥伝説」の話は、白洲正子さんも、「古典の細道」という本の中で、「白鳥の歌」というタイトルで書いていらっしゃいます。

 白洲さんは、国立博物館にある埴輪の「甲冑を着た武人」を見られると、孤独な道を歩いた倭建命のことを思われるということでした。



           「古典の細道」白洲正子著・新潮選書

 
 倭建命(やまとたけるのみこと)は、東国平定からの帰途、能褒野(のぼの)で瀕死になられたのでしたが、その時に故郷の大和を思ってこんな歌を詠まれています。

「倭(やまと)は 国のまほろば、たたなずく 青垣 山籠れる 倭し麗し」

 わたしは、この歌を読むたびに、彼の大和への望郷の思いが痛いほど感じられてくるのです。




 そしてついに、倭建命は、その能褒野で亡くなられたのですが、白鳥になって故郷をめざして、飛びたっていかれたということです・・。

 倭建命は生前、父から次々に出される国の平定の戦の命令に、父は自分の死を願っているのではないのかという不信感を持たれていたとのこと・・。

 戦に明け暮れる日々には、どんなにか、なつかしい故郷のあの大和に、早く帰りたいと願っていらしたのかと察します・・。

 この歌は、あまりにも哀しすぎます。

 「白鳥伝説」は、そんな彼の想いを白鳥にたくして、語り継がれて伝説になったのだと、想像したのでした・・。

 


          古事記  山口佳紀・神野隆光【校訂・訳】小学館