2025年2月14日金曜日

映画・「シェイクスピアの庭」ケネス・ブラナウ監督作品   すばらしいシェイクスピアのソネットの朗誦・・

 

 庭のエサ台にヒマワリの種を食べに来た「ヤマガラ」です。ヤマガラの色はよく見ると、黒と白、グレーに茶色というシックな色あいの装いで、おしゃれな野鳥です。きょうは他には、ゴジュウカラも来ました。


              ヤマガラ

 ケネス・ブラナウ監督の映画「シェイクスピアの庭」を、観ました。観るのはたしか、4度目ぐらいだと思うのですが、今回、特に映画の中でわたしがいちばんこころに残ったシーンがありました。

 それは、晩年にストラット・フォード・アポン・エイボンの自宅にもどったシェイクスピアを、久しぶりに友人のサウザンプトン伯が訪ねてきて、ソネットをふたりで朗誦する場面でした。

 暖炉の火と、ろうそくの灯りだけがふたりの顔を照らす静かな部屋で、サウザンプトン伯役のイアン・マッケランがシェイクスピアのすばらしいソネットの朗唱をしたのです!

 彼のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで鍛えたと思われるなめらかなベルベットのような英語の発音に、わたしの脳はすっかりとろけるように、打ちのめされてしまったのでした。

 早速、シェイクスピアのソネット集を、開いて読んでみたのですが、この映画に出てくるサウザンプトン伯は、この詩のモデルのひとりと思われるとのこと。

 ソネットは、シェイクスピアのうつくしい若者に対するひたむきな愛と賛辞につきていて、驚くのですが、いまはすっかり老齢になったサウザンプトン伯の若いころがしのばれました。シェイクスピアは、ソネットを詠うことにより美しい若者への究極の愛を、言葉で永遠に残そうとしたのだと思います。


            ゴジュウカラ

 この映画は、シェイクスピアが、1613年にロンドンのグローブ座が焼け落ちた後、筆をおり、20年間も留守にしていた故郷のストラッドフォード・アポン・エイボンの家族のもとに帰り、そこでおくった余生の話ですが、家族に起こっていた悲劇と和解の話にもなっていました。

 シェイクスピアの作品の中には、多くの植物が出てくるのですが、その植物と同じものが、いまでも保存されているシェイクスピアの家の庭や、妻のアンの実家の庭にも、植えられているとのこと。

 そういえば、むかし、夏のころにアンの実家を訪ねたときに、庭にはあふれんばかりの多数の花が咲いていたのを、思い出します。

 映画の中でも、シェイクスピアが庭作りに励む姿が出てきました。

 監督のケネス・ブラナウも、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの出身のようですが、主役のシェイクスピアも演じており、彼のこの映画にかける意気込みも強く感じられました。

 セリフには、シェイクスピアの作品からのものも多数ありますし、ソネットや詩の引用、そして凝った画面構成や、音楽、個性的な俳優など、わたしのベスト10に入る映画でした。

    


   


 

2025年2月12日水曜日

読書・「ユリシーズ]Ⅰ ジェイムズ・ジョイス著 丸谷才一・永川玲二・高松雄一 訳 集英社文庫      ♪ブルームの猫     

 


  今年の冬は、数年に一度という寒波も来ましたし、いつもの冬よりも寒いような気がします。散歩していると、雪はまだ大分残っていて、真っ白の雪の上に「まつぼっくり」をおいてみると、冬に咲く花のように見えました。




 ついにというか、長年の間、積読本だったユリシーズを、読み始めました。多分、本には「読み時」というのがあり、わたしにとっては、いまがそうなのかもしれません。

 ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」は、プルーストの「失われた時を求めて」といっしょに20世紀文学の双璧と言われているほどなので、長い間読みたかった本でした。

 プルーストの、「失われた時を求めて」は、(別の翻訳者で4回)、10年以上もかけて、すでに読み終えています。「失われた時を求めて」は、主人公が幼い時から芸術家になるという決意をするところまでの長い人生の物語であるのに対し、ジョイスの「ユリシーズ」は主人公のダブリンでのある特定の一日(1904年6月16日)の物語という違いがあります。

 共通点としては、どちらも12巻や4巻という長い物語で、訳注が多いということがあげられるのかなと思います。



 また、プルーストの本には、猫や犬などがほとんど出てきませんが、ジョイスの本には出てきます。多分猫を飼っていたのだと思いますが、猫の描写をとても巧みに愛情込めて書いています。

 主人公のブルームの飼い猫の描写は、140p~141pまで猫好きの方にはたまらないと思われるような、猫の本質を語っているような上質な描写なのです。

 ブルームの猫は、なめらかな皮膚の黒猫で、しなやかな体と、きらめくような緑いろの宝石のような目の持ち主のようです・・。猫にあげるミルクは、ここではダブリン市内にあるハンロン牛乳店の配達人が、牛乳を一杯にしていったばかりの大瓶から皿に注いであげるのでした。

 このハンロン牛乳店とは当時のダブリンには、同じ名前の店が3軒ありたぶん、ここだろうと、訳注で店の特定までされているのですから、恐れ入ってしまいます。

 プルーストの本にももちろん、研究者が調べた百科事典があるのですが、ジョイスのこの本にも、あるようです。




 「ユリシーズ」のⅠは、午前8時、マーテロ塔に住む3人の朝から始まります。まだ主人公はあらわれていないのですが、その3人のなかのひとりは「芸術家の肖像」の主人公のスティーブンで、22歳、学校教師・詩人として出てきます。

 ジョイスの書き方は、言葉の魔術師のように、言葉や文体までもさまざまに駆使して書いているのですが、その言葉の訳注も重要なポイントになっているのです。

 ジョイスが目指したのは、新しい文学の形式だと思うのですが、わたしにとっては、当時のダブリンの日常生活の細部が、とても興味深くおもしろく感じました。

 たとえば、午前8時すぎにスティーブンと、マリガンとヘインズは、朝食を食べるのですが、メニューは、バターと蜂蜜をつけたパン、焼いたベーコンと卵、濃くいれたTEA、そこに入れるミルクは、朝しぼりたてのものを老婆が売りにくる。というもので、ほとんど英国と同じようなメニューで、おいしそうだと感じました。

 わたしがロンドンに住んでいたときには、毎朝、専用の電気自動車にミルクを積んだ「ミルクマン」が、牛乳瓶を玄関前においてくれたのを思い出したのですが、老婆が朝しぼりたてのミルクを売りに来るという場合、ジョイス語ではどういうのかしらと、あれこれ考えて笑ってしまいました。

 (わたしの日本語訳では、「ミルクおばば」とか、ひねりをきかせて、老婆なのにわざと気取って「ミルクレディー」とか・・。)

 ジョイスの毒舌は、紅茶を入れるポットを、おまるのポットといっしょにして、「おんなじポット」を使用とかなんとか言ったり・・するのです。

 これなどは、もちろん、ほんの序の口なのですが・・。ジョイス語の多用の結果、当時の社会では発禁本になったというのも頷けます。




 ブルームの妻は、オペラの歌手という設定ですが、ジョイス自身もコンクールに出たり歌が上手だったようですから、やはりアイルランド人は歌や音楽が好きという定説は、本当のようです。

 本の最後に、池内紀さんが、「ジョイス語積木箱」というエッセイを書かれていますが、彼によれば、ジョイスは翻訳者に地獄の苦しみを与えているが、読者は、この本を積み木のように、自由にして言葉を遊んで楽しめばよいということです。

 そして、本文の、「片柄つき間男」とは何か?を訳注が告げていると、のべられているのですが、ご専門のゲーテの「イタリア紀行」を持ち出して、そこに出てくる人物を特定され、おもしろい解説をなさっています。

 多分、ジョイスは、最上の知的なしゃれで、言葉を駆使して、わたしたち読者をけむりにまいて、どこかで笑っているような気がしたのでした・・・。



  









2025年1月6日月曜日

読書・「移動祝祭日」ヘミングウェイ著 高見浩訳 新潮文庫

 


 今の季節に散歩していると、ヤマユリの実のドライフラワーをあちこちで見ることができます。雪の野をバックに写すと、造形がとてもすてきで、斬新なオブジェのようです・・。




 ヘミングウェイの「移動祝祭日」を読みました。先日ある本を読んでいましたら、ジェイムズ・ジョイスのことが「移動祝祭日」に書いてあるというので、改めて読んでみたのでした。

 この本は、ヘミングウェイの遺作ですが、最初の妻ハドリーと結婚し、パリで過ごした若いころのなつかしい日々のことが、回想として書かれています。

 1920年代のそのころのパリは、新しい芸術の波が来ていたようで、ヘミングウェイがパリにわたって1か月後ぐらいには、あのジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」が、シェイクスピア書店のシルヴィア・ビーチの手で刊行されていたと、高見浩さんの解説に書いてありました。 

 


 「移動祝祭日」の中には、やはりジョイス一家がミショーというレストランでよく食事をとり、家族はイタリア語で語りあっていたということや、のちにはヘミングウェイが、偶然にジョイスと街で出会ったときには、ドウー・マゴでいっしょにお酒を飲むまでの友達になっていたとも書かれていました。

 ジョイスについての記述はこれだけでしたが、ヘミングウェイは、ジェイムズ・ジョイスを、尊敬していたことが、行間から感じられました。

 


 ところで、この本のタイトルにもなっている「移動祝祭日」についてですが、最初の見開きのページに、友への言葉としてこんな風に書かれています。

・-・-・-・-・

「もし幸運にも、若者のころ、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」

・-・-・-・-・  引用 最初の見開きのページより


 1921年、ヘミングウェイは22歳のときに、ハドリーと結婚してパリに住み始めたのですが、この言葉のように、ヘミングウェイにとってパリは、その後の彼の人生に、いつもついてくる「移動祝祭日」だったのだと思います。

 そして、彼が老いてから、パリの思い出を回想したときに、そこにはいつも最初の妻だった最愛のハドリーがいたのだと実感したのでした。



 本の最後の言葉を読んだときに、彼のその後の人生の最後の結末を思い、胸がきゅんとしてきたのは、わたしだけだったのでしょうか・・・。

 こんな言葉で、終わっているのです。

・-・-・-・-・

・・・私たちはいつもパリに帰った。パリは常にそれに値する街だったし、こちらが何をそこにもたらそうとも、必ずその見返りを与えてくれた。が、ともかくもこれが、その昔、私たちがごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である。

・-・-・-・-・ 引用 300p


 上の文にも書かれているように、わたしたちというのは、ヘミングウェイと、最初の妻のハドリーのことで、この本は彼のハドリーに対するオマージュとして書かれたのだと、思ったのでした・・。







 

2024年12月25日水曜日

読書・「ヘルマン・ヘッセ 人は成熟するにつれて若くなる」Ⅴ・ミヒェルス篇 岡田朝雄訳 草思社   (微笑むこと、それが大事だ・・・)

 

 

 きょうは、寒い一日でした。寒いこんな日には、いつも決めている散歩コースを、ショートカットしての散歩でした。散歩の途中で見つけたガマズミの実です。冬の日差しの中で、もう葉もすっかり落ち、こんな感じになっていたのですが、まだ、最後の輝きを見せてくれていました・・。




 本箱にあった「ヘルマン・ヘッセ 人は成熟するにつれて若くなる」を、読みなおしてみました。この本はずっと以前に、古本屋さんで購入したもので、以前にも読んでいるのですが、内容はすっかり忘れていた本でした。

 老年と死をテーマとしたヘルマン・ヘッセのエッセイと詩を、ドイツのヘッセ研究者が集めて、本にしたものですが、彼の写真家の息子が写したモノクロの写真も、いっぱい載せられています。

 ヘッセは1946年にノーベル文学賞を受賞していますが、彼の本は、「車輪の下」と「シッダールタ」などを読んだのみで、晩年にこのようなエッセイと詩を書いていらしたというのは、知りませんでした。



 この本の中では、「秋の体験」という若いころの友人が訪ねてくるエッセイがこころに残りました。

 彼の名前はオットーといい、ヘッセの少年時代からの友人で、温厚な人柄でもあり、彼は弁護士や市長なども務めたこともあったとか。そんな彼が、久しぶりにヘッセを訪ねて来てくれ、お二人でしあわせな時間を過ごされたとのこと・・。

 その後、ご友人は、ご自宅に戻られてすぐに、75歳で亡くなられたとのことなので、お二人にとって人生での貴重な最後の時間であったと、思います。  

 少年時代にお二人は、同じ神学校の生徒として過ごされており、そのころのことは、「車輪の下」に書かれているとのことでした。




 「人は成熟するにつれて若くなる」には、いくつか詩も載せられているのですが、その中ではこの詩「老いてゆく中で」がいちばん好きです。最初の4行を引用してみます。

・-・-・-・-・

老いてゆく中で

            ヘルマン・ヘッセ

若さを保つことや善をなすことはやさしい

すべての卑劣なことから遠ざかっていることも

だが心臓の鼓動が衰えてもなお微笑むこと

それは学ばれなくてははならない


・-・-・-・-・ 引用56p


 「微笑むこと」を、ヘッセは老いてもなお人生では学ばなくてはならない大事なことといっていますが、わたしも本当にそう思います。

 わたしは、ふと宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出したのですが、賢治は、「雨ニモマケズ」の中で、たしか、こんなことを言っていました。

 「イツモシズカニワラッテイル」「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と・・・。

 「微笑むこと」と「イツモシズカニワラッテイル」は、どちらも人生の穏やかな究極の境地を示しているように感じたのでした・・。

 



2024年12月13日金曜日

読書・「雲」山村暮鳥  暮鳥のりんご・・・。 

 

 12月に入り、数日暖かい日が続いていたのですが、きょうは青い空から雪がはらはらと舞う寒い一日でした。この時期になると、ノササゲの濃紺のすてきな果実を見つけるのを、いつも楽しみにしているのですが、今年も出会うことができました。さやがほんのりうすいピンク色に染まり、すてきでした・・。      



 

 山村暮鳥の「雲」という詩集の中に、「りんご」という詩があります。りんごは、大好きな果物でもあるので、好きな詩です。

・-・-・-・-・

りんご

             山村暮鳥

両手をどんなに

大きく大きく

ひろげても

かかへきれないこの気持ち

林檎が一つ

日あたりにころがってゐる

・-・-・-・-・           引用76p




 日あたりにころがっているりんごを見たときの気持ちを歌っているのですが、読むたびについ深読みしてしまう不思議な詩です。

 暮鳥は、詩集の中でこの詩に続きりんごが出てくる詩を、いくつか書いているのですが、わたしは「おなじく」というこの詩も好きです。

・-・-・-・-・

「おなじく」

                  山村暮鳥

林檎はどこにおかれても

うれしそうにまっ赤で

ころころと

ころがされても

怒りもせず

うれしさに

いよいよ

まっ赤に光りだす

それがさびしい

・-・-・-・-・         引用78p~79p




 このような暮鳥の詩を読んでいると、りんごに感情移入してしまっている感性豊かな詩人の姿が浮かび上がってくるのですが、同時に彼の人生や生活のことまで考えてしまうのは、わたしだけでしょうか・・。

 暮鳥は、この詩集「雲」の序にこんなことを書いています。

・-・-・-・-・

詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる。

だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。

・-・-・-・-・              引用5p


 暮鳥は、このようにいうことで、詩人として生きることのマニフェストを宣言したかったのかなと思えてきます。

 芸術のない生活はたえられず、生活のない芸術もたえられないとも言っていますので、彼にとって詩を書くことは、生きることでもあり、人生のすべてだったのかもしれません・・。




2024年11月30日土曜日

読書・「空の青さをみつめていると」谷川俊太郎・角川文庫


 今年の秋は庭の栗が、豊作でした。拾い集めておきましたら、翌日の朝には、小動物が食べたのでしょうか、食べかすが残っているだけでした。いまはもう11月も下旬、栗の季節は終わり、枯れ葉の季節になってしまいました。



  

 11月13日に詩人の谷川俊太郎さんが、92歳で旅立たれました。わたしが谷川さんの詩集を最初に手にしたのは、文庫本の「空の青さをみつめていると」でした。

 「空の青さをみつめていると」というタイトルに惹かれたからです。

 谷川さんは、「詩は、理由がなく胸がいっぱいになることがある。」と言われているのを、先日、TVの追悼番組の映像で見たのですが、わたしも同感でした。わたしの場合は、胸がきゅんとしてくるという表現がぴったりなのですが・・。

 また、谷川さんは「詩とは、キャッチコピーかもしれない。」とも言われていて、この言葉にも100%共感でした。



 以前にもこのブログで、谷川俊太郎さんの詩・六十二のソネットの中の「空の青さをみつめていると」ではじまる41を紹介させていただいているのですが、これは彼の詩の中で一番好きな詩です。

・-・-・-・-・

    41

空の青さをみつめていると

私に帰るところがあるような気がする

だが雲を通ってきた明るさは

もはや空へは帰ってゆかない


陽は絶えず豪華に捨てている

夜になっても私達は拾うのに忙しい

人はすべていやしい生まれなので

樹のように豊かに休むことがない


窓があふれたものを切りとっている

私は宇宙以外の部屋を欲しない

そのため私は人と不和になる


在(あ)ることは空間や時間を傷つけることだ

そして痛みがむしろ私を責める

私が去ると私の健康が戻ってくるだろう

・-・-・-・-・        引用66p~67p

  


 また、わたしが谷川さんの詩で、好きなところは、平易な言葉で書かれていて、ご自分の考えをおしつけないところです。

 たとえば「はる」というタイトルのこのような詩。

・-・-・-・-・

「はる」

                   谷川俊太郎

はなをこえて

しろいくもが

くもをこえて

ふかいそらが


はなをこえ

くもをこえ

そらをこえ

わたしはいつまでものぼってゆける


はるのひととき

わたしはかみさまと

しずかなはなしをした

・-・-・-・-・      引用26p



                                       初雪 11月30日


 読んでいると、こころが穏やかになってくるような気がしてきます・・。
 

 「空の青さをみつめていると 私に帰るところがありそうな気がしてくる・・・・」

   これからも青い空を見ると、いつもこのフレーズが浮かんできそうです・・。










2024年11月22日金曜日

読書・「あらし」シェイクスピア作 大場建治訳 シェイクスピア・コレクション研究社

 

 今年の秋は、ウリハダカエデの紅葉がすてきでした。みどりの葉から次第に黄色になり、赤やむらさきにまで、さまざまで微妙な色合いに染まっていくのを見ると、いつも自然のすばらしさを感じてしまいます。 



 先日、ギッシングの書いた「ヘンリ・ライクロフトの私記」を、再読していましたら、シェイクスピアの「あらし」のことが出ていました。

 主人公はシェイクスピアの作品の中で「あらし」ほど好きなものはなく、シェイクスピアを母国語で読めることがイギリスに生まれたことを感謝する理由のひとつにもなっている。そして、シェイクスピアとイギリスは、ただひとつのものにほかならないとまで、いっているのですが、これは作者のギッシングの本音なのだろうなあと、想像できました。

 ギッシングがこれほどまでに心酔しているシェイクスピアですが、私の場合「ロミオとジュリエット」など5,6冊読んだだけで、「あらし」はまだ未読でしたので、今回は研究社のシェイクスピア・コレクションの大場建治訳で読んでみたのでした。



 「あらし」は、シェイクスピアの最後の作品と言われており、この後、シェイクスピアは、ロンドンを引き払って故郷のストラットフォード・アポン・エイボンに帰ったとのこと。ストラットフォード・アポン・エイボンは、わたしにとっても二度訪ねたことがある懐かしい街です。シェクスピアの生家や、近所にある妻の実家も訪ねたことがあり、チューダー様式の木でできたがっしりとした建物には、独特のガラスの窓がはめ込まれていて、室内はチューダー様式の家具とともにきれいに保存されていたのを、思い出します。

  翻訳者の大場さんによれば、シェイクスピアの劇は、詩劇であるといわれており、セリフの大部分が詩になっているのだとか・・。

 ギッシングも「ヘンリ・ライクロフトの私記」の中で、「あらし」はシェイクスピアの劇作品の中でも「最も気高い瞑想的な言葉や、最後に到達した人生観、哲学の教訓の言葉、優雅な抒情詩、優艶な愛の言葉」は、彼の詩人としてのすばらしさを表していると、絶賛していました。



 「あらし」を読んでみてわたしは、シェイクスピアが登場人物のひとりキャリバンに言わせているこの三行のセリフにとても惹かれましたので、引用してみます。

・-・-・-・-・  

夢ん中で雲がぽっかと二つに割れて宝物が

落ちてきそうになって、だから目が覚めてから、

夢の続きが見たいって泣いたんだ。

・-・-・-・-・           引用 109p

 何度読んでみても、名セリフだと、感動します。

 翻訳者の大場さんも、この三行を訳しながら、涙をながされたとか・・。このセリフはやはり、あのキャリバンがいっているので、特に心にしみるのだと思います。

 やはりシェイクスピアは、ギッシングがいっていたように、偉大な詩人だったのだと再認識した読書でした。