2024年9月30日月曜日

食・「いつもの朝ごはん」  ローマ人と同じ、たまごとりんご・・。

 

  きょうの朝食べた、いつもの朝ごはんです。



 ★ブロッコリーと、半熟のゆで卵(ブロッコリーには、しょうゆを少しかけ、ゆでたまごは、雪塩。)

 ★有機ライ麦パン オーガニックフォルコンブロート((メステマッハー) (エクストラヴァージンオリーブオイルをかける。)

 ★りんごとバナナ入り豆乳ヨーグルト(純ココアパウダー・有機すりごま・きな粉・シナモンをふりかけて・・)

 ★紅茶(豆乳をいれる)(紅茶は、ティーポットでいれて2杯)           





 ※トマトジュースや、トマトをプラスすることもあります。

 朝ごはんは、一日の元気の源ですので、体に良いものをと、こころがけているのですが、ここ数年は、これが定番になりました。

 豆乳ヨーグルトに入れるりんごとバナナは、一年中手に入りますので、おいしくいただいています。

 今年も大好きなりんごの季節になりました!

 そういえば、むかし、ローマでは、「卵からりんごまで」というのは、前菜にたまご料理、そしてデザートには、りんごが欠かせなかったので、「卵からりんごまで」というのは、「初めから終わりまで」という意味になったのだとか・・。

 わたしの朝ごはんも、卵とりんごは、いつも欠かさず食べているので、ローマ人と同じものを食べているのだ!と、ローマ人を身近に感じてしまうのでした・・。

 りんごと、たまごは、どちらも大好きです!!!


読書・「快楽としての読書」[海外篇]丸谷才一著 (「源氏物語」と「失われた時を求めて」の共通点とは・・)


 散歩道に、毎年この季節に咲く、ユウガギクの 群生地があります。ユウガギクの名前の由来は、葉をもむと、柚(ゆず)の香りがするので「柚香菊」という名前がついたと、「野草の名前」という山渓名前図鑑に出ていたのですが、葉をもんでみても、ゆずの香りはしませんでしたので、ちょっぴり残念でした・・・。



 丸谷才一さんの書評の本「快楽としての読書」の日本篇に続き、海外篇を読んでみました。

 最初にカズオ・イシグロの「日の名残り」の書評が出てくるのですが、じつは先日知人宅で、この書評が書かれているハヤカワepi文庫版を見つけて読んだばかりでしたので、うれしい偶然にびっくりでした!(手持ちの中公文庫の「日の名残り」には、丸谷さんの書評は出ていませんでしたので。)

 丸谷さんは、イギリス小説史の専門家たちが使う「英国の状態」小説という術語があるが、19世紀がディケンズだとすれば、20世紀ではE・M・フォースター、そして、イシグロの「日の名残り」は、まさしく「英国の状態」小説で、フォースターの「ハワーズ・エンド」が連想されると、書かれています。

 「日の名残り」も、「ハワーズ・エンド」も、映画化されており、わたしは映画も好きで、どちらも観ているのですが、丸谷さんのいわれるようにまさしく、「英国の状態」小説の映画化で、興味深く観ることができました。

  


 
 また、個人的に興味があるプルーストの「失われた時を求めて」の書評も、興味深く読みました。ところが、丸谷さんのこの書評が書かれていた当時は1985年で、ちくま文庫の井上究一郎さんの個人全訳が、まだ、第二巻までだったとのことで、時間の流れを感じたのでした。

 その後、「失われた時を求めて」の個人全訳は、鈴木道彦さん、吉川一義さん、そしてまだ6巻までですが、高遠弘美さんと、4人の異なる翻訳で読めるのは、しあわせなことだと感じます。

 丸谷さんによれば、1930年代のはじめのころに、日本人は諸国民にさきがけて、プルーストを好むと、アメリカの批評家、エドモンド・ウィルソンが指摘していたということですが、やはりわたしのようなプルースト好きが、日本では多いからなのでしょうか・・。

    

 
 「源氏物語」と、「失われた時を求めて」の関連については、源氏物語のような大古典を小説史に持つ日本人が、やがて、「失われた時を求めて」のような小説を愛読するようになるというのは、運命的な事実かもと、論じられています。

 そして、「源氏物語」と「失われた時を求めて」の共通点として、
・-・-・-・-・
「花やかで充実してゐる人生においてじつにすばやく流れる時間の感覚と、それによってもたらされる人生のはかなさ」
・-・-・-・-・   引用333p

と、いわれているのは、この書評のタイトルにもなっている「人間的時間」にもなっていて、彼の文学の理解の深さかなと、感じたのでした・・。



 
 本の後ろで鹿島茂さんが、こんなユーモアのある解説をなさっていました。「この本を読むだけで、世界文学の通になれる「お得」な文庫である」と・・。苦笑してしまったのですが、わたしも同感でした!!!




2024年9月21日土曜日

読書・「快楽としての読書」[日本篇]丸谷才一著・ちくま文庫

 

 ノハラアザミが、咲き始めました。この辺りでは、春に咲くのがノアザミで、秋に普通に咲くのが、ノハラアザミですが、この花の生育地は、本州の中部地方以北とのこと。ノハラアザミの蜜は、ミツバチが大好きのようで、いつも花の蜜を吸っている姿を見かけます

  


 丸谷才一さんの書評の本「快楽としての読書」[日本篇]を、読みました。2012年第一刷発行と書かれていますが、新本はすでになく古本で購入・・。書評を読むのは、わたしのような本好きにはうれしいことで、この本には、丸谷さんの書評が122選も入っており、楽しい読書でした。

   書評された本の中で、わたしがすでに読んでいるのは、1「わたしの万葉集」全5冊 大岡信著、2「100万回生きた猫」佐野洋子著、3「ミラノ・霧の風景」須賀敦子著、4「椒庭秘抄 待賢門瞕子の生涯」、5「ソロモンの歌」吉田秀和著など、数冊でした。

 わたしの好きな作家である須賀敦子さんや、吉田秀和さんの本が入っていたのは、特にうれしかったのですが、須賀敦子さんの「ミラノ 霧の風景」の丸谷さんの書評は、こんな風でしたので、引用してみます。

・-・-・-・-・
    息の長い、しっとりとした、趣味のよい文章で、彼女はミラノの霧の匂ひを、ガッティの優しさを、夜のヴェネツィアの運河の水音とつながれてゐる小舟の舳先(へさき)が波の上下につれて岸辺の石にこすれる音を書く。そしてもちろん亡夫とのしはわせな日々のこと。・・・・わたしはこの本によって、生きることの喜びと哀れさを存分に味はふ思ひがした。
・-・-・-・-・  
               引用 183p~184p

 須賀さんのファンとしては、さすが丸谷さん、須賀さんの本のエッセンスを、ぎゅっとつかんでまとめていらっしゃると思ったのでした・・。





 丸谷さんは、第二次大戦後、イギリスから雑誌が入ってくるようになったとき、日本と比べイギリスの書評欄が充実していることに感嘆なさったとか。

 そして、1951年(昭和26年)2月「週刊朝日」が「週刊図書館」という書評のページをはじめたのが、日本の書評のはじまりになったとも書かれています。
 また、丸谷さんは、この「週刊図書館」の書評欄の執筆者のお一人として、誇りに思っていらっしゃるとも・・。



 
 解説で湯川豊さんは、丸谷才一さんの書評のことを、「書評の藝の見本帖」と、書かれていますが、その通りだとわたしも思いました。

 丸谷さんは、日本の書評文化に貢献なさった方なのだと、改めて深く認識した読書でした。

 和田誠さんの招き猫が2匹のカヴァーデザインも、ユーモアが感じられて、好感を持ちました。

  

  






 


2024年9月6日金曜日

読書・「梨のつぶて」丸谷才一文芸評論集・丸谷才一著・晶文社  その2・「舟のかよひ路」源氏物語について

 

 8月の後半から、我が家の庭に「レンゲショウマ」が、咲きはじめました。「レンゲショウマ」は、わたしがいちばん好きな花と言ったのを覚えていらした知人から、数年前にいただいたものです。

「レンゲショウマ」は、日本特産の一属一種の気品ある花で、この花を見ると、わたしはいつも源氏物語に出てくる「紫の上」や、歌人の式子内親王を、思い出してしまいます。昨年は咲かなかったので、今年はためいきをつきながら、見惚れています・・。



  
 丸谷才一さんの文芸評論集の「梨のつぶて」は、前回は「『嵐が丘』とその付近」の章についてブログにアップしたのですが、今回は、源氏物語が論じられている「舟のかよひ路」を選んでみました。

 丸谷さんは、源氏物語の現代性ということに、注目なさっているのですが、おもしろい視点だと感じました。

 源氏物語の現代性として、最初に、源氏物語の中の挿話が、「砂時計の形(シンメトリー)をした小説である」ということに気がつかれ感動なさったとか。

 砂時計の形の挿話については、
 「光源氏が父の妻(藤壺)と関係し、息子が生まれて天皇になる」
 そして、
 「光源氏の妻の女三宮が柏木と関係して息子が生まれ、光源氏は実子として育てることになる」
 という2つの話が砂時計のように、シンメトリーになっているというのです。

 この砂時計のような形になっているという考えは、E・M・フォースターが、アナトール・フランスの「舞姫タイス」を砂時計の形をした小説といっているのをふまえて、丸谷さんは源氏物語のこの挿話も同じだと考えられたとのこと。

 


 次に、源氏物語の現代性はそれだけではなく、「夢の使用の巧みさ」もあるとして、柏木の夢を紹介なさっています。

 「柏木は女三宮と関係したすぐあとに、猫の夢を見るのですが、女三宮が飼っていた猫が御簾のすそをあげたために、柏木が彼女の姿を見てしまい、恋するようになったのでしたが、猫は当時、夢占いで妊娠を意味していたとか・・。」

 また、夢だけではなく源氏物語は、「イメージの使用が優れた手法にもなっている」として、プルーストの「失われた時を求めて」の中の「囚われの女」のアルベルチーヌの眠りについてもふれられています。「鮮やかで精細な比喩」だとして。 

 さらに、源氏物語では、登場人物の自作の和歌によって本文をいっそう鮮やかにイメージしたり、古歌の引用によって、イメージを華麗にしたりしているが、もしプルーストが読んでいたら、羨望だったのかもとも・・。



 最後に、わたしがこの丸谷さんの評論で特に心に残ったのは、この3つでした。

それは、

   1・源氏物語の現代性を、独自の視点から論じられていること。

 2・日本では、中世の歌人たちや連歌師が、絵画的で音楽的な詩の方法を「源氏物語」のイメージの匂やかな扱い方により学んだこと。

 3・そして、フランス象徴詩の文学風土からプルーストやジェイムズ・ジョイスのあたらしい小説が生まれたということ・・。

 丸谷さんのこの源氏物語の文芸評論は、ご専門の英語圏の文学のほかにも、フランスの文学圏の文学風土や、我が国の中世の和歌や連歌など、自在に時間や空間を越えて論じられているのがユニークで、興味深くおもしろく読むことができました。

 最後に「梨のつぶて」という本の命名も、丸谷さんらしい言葉遊びで、さすがにジョイス仕込みだと思ったのでした・・。


 


 




2024年8月26日月曜日

読書・「梨のつぶて・丸谷才一文芸評論集」丸谷才一著 晶文社      その1・嵐が丘について・・


 ツリガネニンジンが、散歩道のあちこちで咲いています。ベルの形をしたかわいい花ですが、風にゆれている姿は、もっと愛らしく見えます。

 きょうは、雨上がりのサプライズで、クモの糸に水晶のような雨粒がついていて、とてもすてきでした・・。



  
 友人に薦められ、丸谷才一さんの文芸評論集の「梨のつぶて」を、読みました。初版は1966年と大分古い本なので絶版になっており、古本で購入。目次を開いてみると、Ⅰ文明、Ⅱ日本、Ⅲ西欧の3つの章にわかれていて、Ⅲの西欧の、「「嵐が丘」とその付近」が目にとまり、最初に読んでみました。

 「嵐が丘」は中学生の頃に読んだことがあり、もうすっかり忘れていた本なのですが、すごい恋もあるものだと、強烈な印象を受けた本というのは、覚えています。

 英国に住んでいたときには、ブロンテ姉妹の住んでいた、ハワースの「The  Bronte Parsonage Museum」を、訪ねたことがありました。

 そのときに購入したThe  Bronte Parsonage Museumという薄い本を開いてみると、エミリー・ブロンテが描いた飼い犬のキーパーの水彩画が載っており、部屋に飾ってあった姉妹の洋服が、あまりにも小さかったことなども、いろいろと思い出したのでした・・。 




 丸谷さんによれば、「嵐が丘」の主人公のヒースクリフは、シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」のロチェスターの経歴や、ドストエフスキーの「悪霊」のスタブローギンの経歴と同じように暗い過去を持ち、それは、神秘と悪の雰囲気を、漂わせるバイロン的なヒーローであるとのこと。

 また、ヒースクリフは、数年失踪した間に、教養と富を豊かにして「嵐が丘」に戻ってくるのですが、そこがまさにヒースクリフの本質で、謎めいたヒーローでもあり、「限りなく高貴で限りなく邪悪」・・と丸谷さんは分析されています。
 さらに、「嵐が丘」は、ゴシックロマンスで家庭小説であるとも・・。  

 サマセット・モームは、「嵐が丘」を、「世界の十大小説」として紹介しているとのことですが、今回、読み直してみると、プルーストやジョイスを読んでしまったいまでは、十九世紀の古い読み物のような感じがしてしまうのですが、このひりひりするような二人の愛を描いた小説は、やはりすごいという印象が残るのでした・・。

 


 
 映画化もされているので、1992年製作の映画、レイフ・ファインズのヒースクリフとジュリエット・ビノシェのキャシーとキャサリンの二役のキャストで、先日、観直してみました。映像で観た「嵐が丘」は、最初の雲が低く垂れこめるヒースの荒野のシーンに流れる坂本龍一さんの音楽も雰囲気が出ていてすばらしく、この雰囲気こそが「嵐が丘」の神髄かもしれないと思ったのでした・・。

 英国の批評家のデヴィット・セシルは、「嵐が丘」という名を耳にしただけで、ロンドンの街の喧騒はうすれ、心の耳には、河の流れの音、雷の響き、荒野の上を吹く風が聞こえてくるというようなことを書いているそうですが、丸谷さんは、世界中のどの街にいても、そうなのではという言葉でしめくくられています。
 
 そういえば、わたしも「嵐が丘」という名を思い浮かべると、いつもあのヨークシャーのヒ-スの荒野をわたってくる冷たい風の音が聞こえてくるような気がするのです・・。

 そして、エミリー・ブロンテの詩  「No coward soul is mine」わたしの魂は、臆病ではないという彼女の強いたましいの叫びが風にのって伝わってくるように感じるのでした・・。
      


  



2024年8月20日火曜日

読書・「若い藝術家の肖像」ジェイムズ・ジョイス著 丸谷才一訳 集英社文庫ヘリテージシリーズ

 


 明治の森のひまわり畑のひまわりです。8月15日に写したもので、満開を少し過ぎていたのですが、暑い中、まだまだ元気に咲いていてくれました!ひまわりの花は、いつもみるたびに、元気をもらえる花だと実感します。今年も元気に咲いてくれてありがとう!



 ジェイムズ・ジョイスの「若い藝術家の肖像」を、読み終えました。以前に購入し、積読本になっていたのですが、あの「ユリシーズ」に出てくる主人公のひとりのスティーブン・ディーダラスの若いころの話で、ジョイスの自叙伝にもなっているとのことで、興味を持ち読んでみたのでした。

 最初の出だしが、

・-・-・-・-・

「むかし、むかし、そのむかし、とても たのしい ころのこと、いっぴきの うしもうもうが、みちを やってきました。」

・-・-・-・-・               引用13p

 で始まるのですが、この童話のような書き出しは、とてもおもしろくユニークで、とくに「うしもうもう」は、忘れられない言葉になりそうです。それにしても、丸谷さんの翻訳は、すばらしいと感じました。

 主人公の成長にあわせて、次第に言葉も成長し、それらがすべて、スティーブンの意識の流れにそって語られているというのも読みどころかもしれません。



   スティーブンは、ジョイスですが、6歳で全寮制の名門校「グロンゴース・ウッド・コレッジ」に入学、その後は家庭の事情で授業料免除の名門校「ベルヴェディア校」に行き、大学は「ユニヴァーシティ・コレッジ・ダブリン」で学んでいます。ジョイスの父や先生は、何よりもまず、ジェントルマンになること、良いカトリック信者になることを望んでいたと書かれているのですが、それらが当時のジョイスが育ったアイルランド中流家庭の価値観だったようです。

 青年になったステイーブンは、藝術家になるという決心をするのですが、こんな風に書かれています。

・-・-・-・-・          

「ぼくは自分が信じていないものに仕えることをしない。家庭だろうと、祖国だろうと、教会だろうと。ぼくはできるだけ自由に、そしてできるだけ全体的に、人生のある様式で、それとも藝術のある様式で、自分を表現しようとするつもりだ。自分を守るためのたった一つの武器として、沈黙と流寓(りゅうぐう)とそれから狡智を使って。」

・-・-・-・-・              引用463p



 丸谷さんの翻訳の「沈黙と流寓(りゅうぐう)とそれから狡智を使って。」は、原文では、「silence,exile and cunning」とのこと。

 書かれた当時は100年前のアイルランド、ジョイスのような知的な青年が、祖国の、英国の属国としての政治問題、アイルランド語と英語の問題、そして何よりもむずかしい宗教問題などがあり、彼が祖国を離れて亡命し、藝術家を目指したのは、必然だったようにも感じました。

 



 この本は、プルーストの「失われた時を求めて」のように、訳注が多く、それらを読むだけでも知識を深くすることができ、興味深く読むことができたのですが、同じページに訳注があれば、より楽しめたのではと思います。

 2024年の夏の読書として、この積読本だったジョイスの「若い藝術家の肖像」を読んだのですが、ジョイスの面白さや深さを知る入門書として、良かったと思いました。    

 もう3冊あるジェイズ・ジョイスの積読本「ユリシーズ」も、これから読もうと思っています!!!



   

 

 

2024年8月5日月曜日

読書・「後鳥羽院 第二版」丸谷才一著 ちくま学芸文庫



 我が家の庭に今年もボルトニアが咲き始めました。いつも夏の盛りに咲く丈夫な花ですが、うすむらさきの花は、緑に囲まれて、少しだけ涼しげです。和名は「アメリカギク」で、日本には大正年間に渡来したとのこと。ちょうど雨上がりで、はなびらに丸い雨粒が残っていました。



 丸谷才一さんが書かれた「後鳥羽院 第二版」を読みました。丸谷さんは、ジェイムズ・ジョイスの「若い藝術家の肖像」の翻訳や、あの「ユリシーズ」を、3人で共訳なさっているお一人なので、英文学がご専門と思っており、彼のこのような本を読むのは、初めてでした。

 あとがきによれば、丸谷さんは東大の英文科を卒業なさってまもなく、国学院大学で十数年を過ごされており、そのころの国学院大学とのご関係のことを、記念するために書かれた本かもしれないとのお言葉に、納得でした。

 

      


 冒頭で丸谷さんは、後鳥羽院の百人一首にも出てくるこの歌を紹介なさっています。


   人もをし人もうらめしあぢきなく世をおもふ故にもの思ふ身は

                        後鳥羽院

 丸谷さんは、以前にはこの歌を、恋の嘆きの歌というありきたりの解釈よりもむしろ、倒幕の想いをも込めている政治的な内容の浅い歌と感じ、定家がなぜこのような歌を百人一首の後鳥羽院の代表歌として選んだのかと、不審にさえ思われていたとのことです。

 ところが、江戸末期の国学者岡本況齋(きょうさい)の「百首要解」という本に、この歌には源氏物語が背景にあると書かれているのを知り、見直されたということでした。

 源氏物語の王朝の世界をなつかしむことによって、歌の奥行をまし、それが新鮮な味わいにもなっていると・・・。



 そういえば、田辺聖子さんも「田辺聖子の小倉百人一首」という本の中で、この歌についての丸谷才一さんの見解、「源氏物語の下味がついている」ということについて書かれていたのを思い出しました。

 すっかり忘れていた田辺さんの本に出ていた丸谷さんの見解でしたが、こういう発見があると、本を読むよろこびを感じます。

 


 丸谷さんの後鳥羽院と、定家の歌に対する考え方の違いも興味深く読みました。定家の歌は純粋な芸術であろうとする姿勢に対し、後鳥羽院はご自分の宮廷の文化としての姿勢だったということ。

 また、後鳥羽院を日本的モダニズムの開祖であるとも言われていますが、おもしろい見解だと感じました。

「ユリシーズ」を引き合いに出して、伝統的でありながらも新鮮で革新的なモダニズム文学に通じるものがあると・・。

 このあたりは丸谷さんならではの見識だと思ったのですが・・。 

 丸谷さんが、「後鳥羽院一代の絶唱であるのみならず、新古今の代表的な秀歌であり、和歌史上最高の作品のひとつ」と、言葉をつくして絶賛していらっしゃるのが、後鳥羽院のこの歌ですが、わたしにも忘れられない歌になりました。

 「見渡せば山もと霞むみなせ川ゆふべは秋と何思ひけむ」

                      後鳥羽院 

 後鳥羽院が詠った春の景色は、わたしもいつも見慣れている大好きな春の里山の、景色を思い出させてくれました。山桜の薄い桃色がまじった、にじんだようなパステルカラーの山と、その下をきらきらと穏やかに流れる川の、夢のような情景なのです・・。

 「後鳥羽院の歌の世界」から新古今の時代にしばらくの間、ひきこまれてしまった読書でした・・・。